精選版 日本国語大辞典 「鮮卑」の意味・読み・例文・類語
せんぴ【鮮卑】
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古代北アジアの遊牧民族。トルコ系とする説もあるが、人種および言語系統の詳細は不明。紀元前3世紀初め、東胡(とうこ)を構成する一部族として大興安嶺(だいこうあんれい)一帯に分布していた。前206年ころ東胡が匈奴(きょうど)の冒頓単于(ぼくとつぜんう)に撃滅されると、やがて匈奴に服属して徐々に南下し、シラムレン川流域〔遼(りょう)河上流〕で狩猟遊牧生活を行い、ときに匈奴に従って漢の東北辺に侵入した。紀元後48年、匈奴の南北分裂ののち、自立の動きが始まり、54年には大人〔(たいじん)、首長(しゅちょう)〕の於仇賁(おきゅうほん)らが後漢(ごかん)の都洛陽(らくよう)にきて朝貢し、光武帝は彼を王に封じた。2世紀中ごろに現れた大首長檀石槐(だんせきかい)は、北匈奴の残留部族をはじめモンゴル平原の遊牧諸民族を帰属させ、東は遼東、西はジュンガル盆地に至る大勢力を築き、中国の北辺から西辺に侵寇(しんこう)して後漢王朝を悩ませた。檀石槐の死後、各部族の大人の位が選挙推戴(すいたい)制から世襲制へ移行し、統一勢力は分解した。3世紀初めには歩度根(ほどこん)、軻比能(かひのう)らの大人が現れたが統一は回復されず、3世紀中ごろから慕容(ぼよう)、宇文(うぶん)、段(だん)、乞伏(きっぷく)、托跋(たくばつ)、禿髪(とくはつ)などの部族が有力となった。これら有力部族は騎馬軍団の力を背景に、漢族支配層との結び付きを強めながら、五胡十六国時代の華北でしのぎを削った。慕容氏は前燕(ぜんえん)、後燕、西燕、南燕、吐谷渾(とよくこん)、乞伏氏は西秦(せいしん)、托跋氏は代国〔北魏(ほくぎ)の前身〕、禿髪氏は南涼(なんりょう)を建てた。その後の北朝王朝(北魏、東魏、西魏、北斉(せい)、北周)および隋(ずい)・唐王朝の宗室も祖先は鮮卑系である。
1980年夏、大興安嶺北部の原生林の一角で、狩猟遊牧の段階にあった鮮卑托跋部の祭祀(さいし)跡を残す大洞窟(どうくつ)〔嗄仙洞(かっせんどう)、縦横約20メートル、奥行約100メートル〕が発見された。洞窟内の壁には443年に刻まれた銘文があり、それによれば、かつて托跋部がこの地に住んだこと、洞窟内の祭壇で天地・祖先を祭ったこと、当時の鮮卑の首長が可汗(かがん)とよばれたこと、などがわかる。
[佐藤智水]
モンゴル高原の遊牧民。モンゴル種にトゥングース種の混血したものともトルコ系ともいわれる。シラムレン川流域に遊牧して匈奴(きょうど)に服属した。匈奴の滅亡後,2世紀中頃に檀石槐(だんせきかい)が一時統一したが,その死後分裂し,モンゴル高原南部各地に諸部族が割拠した。2世紀末に軻比能(かひのう)が中部と西部の鮮卑を統一し,後漢末の混乱状態から逃れた中国人を多く受け入れると,再び鮮卑は強盛となったが,軻比能の死(235年)後また分裂した。しかし中国との連係は強まり,五胡十六国時代には,慕容氏(ぼようし)(燕),乞伏氏(きっぷくし)(秦),禿髪氏(とくはつし)(涼)が華北に侵入して建国し,ついに拓跋氏(たくばつし)が華北を統一して北魏を開き,南朝と対立するに至った。そののち,鮮卑は漢人に同化され,史上から姿を消した。
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…その後,匈奴は南北に分裂,そのうち南匈奴は漢に服属し,やがて中国北部へ農耕民として入っていった。彼らのあと,この地には東胡の子孫である鮮卑が入るが,彼らは中国に北魏王朝を樹立,こんどはトルコ系の柔然がこの地一帯を支配した。しかし,6世紀中ごろアルタイ地方から勢力をのばしてきた突厥(とつくつ)がこれを滅ぼし,隋・唐をおびやかすに至った。…
…4世紀初頭より約1世紀半,中国華北に分立興亡した国家群,あるいはその時代をいう。主権者の多くは五胡すなわち匈奴(きようど)・羯(けつ)(匈奴の一種)・鮮卑(せんぴ)(東胡系)・氐(てい)(チベット系)・羌(きよう)(チベット系)の非漢族で,これまでの漢族による中国統治の流れを大きく変えた時代である。また牧畜・狩猟民族と農耕社会との接触が深まり,それが政権の形成にまで発展した,文化史上特色ある時代である。…
…北匈奴は後漢と対立したが91年(永元3)敗れその本拠地を西のイリ地方にうつした。匈奴ののち,外モンゴルを丁零(ていれい)が,内モンゴルを鮮卑(せんぴ)が支配した。このうち鮮卑は3世紀前半に分裂し,有力な部族が各地に割拠した。…
※「鮮卑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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