江戸時代、大名の猟場としてカモの多数渡来する地方につくられ、明治中期以後は宮内省(現宮内庁)と民間篤志家が伝承してきたカモの捕獲場所。来場の客に酒食(鴨場料理)を供応する。現在は千葉県市川市新浜、埼玉県越谷(こしがや)市(以上は宮内庁)、東京都武蔵村山(むさしむらやま)市(東京都水道局)の3か所にあり、1猟期の捕獲数は1か所1000~5000羽程度。宮内庁の鴨場は外国使臣や高官などの接待と標識試験に使われている。外国では古くからヨーロッパの貴族が鴨場を経営していた。
鴨場の構造と捕獲法には多少の差異があり、ヨーロッパには、調教した赤イヌを使役して、金網製の檻(おり)へカモを誘引してとらえる方法もあるが、日本では飼い慣らしたアヒルで誘い、網ですくいとる。
鴨場の構造は、溜池(ためいけ)(大溜(おおだま)り)、中の島、大のぞき、引き堀の4部からなる。溜池は、周囲にタケなどを密植して静穏にし、数万のカモを集める1~3ヘクタールほどの人工池である。中の島は、溜池の中のカモの分布を不整にさせないため、中央部につくられた1~2個の小島。大のぞきは、カモに気づかれずに溜池の大部分を見渡すための設備。引き堀は、溜池の周囲に10~20条ほどつくられた幅2メートル、深さ1メートル、長さ10~20メートルほどの溝で、溝の両縁は土盛りして堤防状にしてある。捕獲法は、餌(えさ)をやる合図で引き堀に入ってくるように訓練したおとりのアヒルにカモを誘導させ、引き堀の小土手の陰に待機した猟者が、さで網などを使って、飛び立つところをすくいとる。カモの種類はマガモ、コガモ、カルガモが主で、捕獲したカモは猟の終了後、来客に供応する。料理法は、そいだ胸肉と、もも肉を生(き)じょうゆにつけ、厚手の鉄板上でネギとともに焼いた素朴なもので、おろし大根につけて食べる。
[白井邦彦]
…現在,宮内庁で保存されている唯一の伝承猟。鴨場は,江戸中期幕府や各大名家などが一種の社交場として設置した。しかし,この猟法は広大な土地を要し,周辺を銃猟禁止区域に指定する必要があるため,明治になり開発が進むと存続が困難になり,しだいに姿を消していった。…
※「鴨場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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