精選版 日本国語大辞典 「黄河」の意味・読み・例文・類語
こう‐が クヮウ‥【黄河】
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中国第二の大河。全長5460キロメートル、流域面積75万2400平方キロメートル。青海(せいかい/チンハイ)省バインハル山脈中部のヤッラダッズェ山(5442メートル)東麓(とうろく)の標高4500メートル前後のヨギランレブ盆地に源を発し、源流はマチュ(チベット語で孔雀(くじゃく)河の意)とよばれる。マチュは盆地を出てマンカ峡谷を抜け、星宿海(せいしゅくかい)とよぶ沼沢地を経由、さらにギャリンノール、オリンノールを抜けて、アムネマチン山脈(積石(せきせき)山脈ともいう)の南麓を流れて、四川(しせん/スーチョワン)省ズオゲ西方に達したのち、急に流路を北西に変え、アムネマチン山脈の北側の甘粛(かんしゅく/カンスー)省南西端を通ってふたたび青海省に入り、青海省東部を北流して、さらに流路を東に変え、西寧(せいねい/シーニン)南方を東流して甘粛省蘭州(らんしゅう/ランチョウ)に至る。それより北東流して寧夏(ねいか/ニンシヤ)回族自治区を貫流、内モンゴル自治区のオルドス地方に入り、パオトウ付近を東流、トグトに至って南下し、山西(さんせい/シャンシー)、陝西(せんせい/シャンシー)両省境を南流、潼関(とうかん/トンコワン)でほぼ直角に流れを変えて東流する。河南(かなん/ホーナン)省に入り洛陽(らくよう/ルオヤン)、鄭州(ていしゅう/チョンチョウ)、開封(かいほう/カイフォン)の北方を流れ、蘭考(らんこう/ランカオ)県付近より北東に方向を転じ、山東(さんとう/シャントン)省の済南(さいなん/チーナン)北方を経て墾利(こんり)県で渤海(ぼっかい/ポーハイ)に流入する。
このように黄河は、たびたび大きく、急激に流向を転じながら、青海、四川、甘粛、寧夏回族、内モンゴル、山西、陝西、河南、山東の7省・2自治区を貫流しているが、その流域は中国文明の重要な揺籃(ようらん)の地であった。陝西省で発見された藍田(らんでん)原人の化石が示すように黄河流域には古人類が生活していたし、旧石器時代を経て新石器時代には西安(せいあん/シーアン)半坡(はんぱ)、河南省仰韶(ぎょうしょう)の遺跡にみられるように彩陶文化が花開き、約3500年前には殷(いん)朝の青銅器文化が栄えた。それ以後、周、秦(しん)、漢、隋(ずい)、唐、北宋(ほくそう)の歴代にわたり中国の政治、経済、文化の中心であった。
主として黄河の運ぶ土砂の堆積(たいせき)によって広大な華北平原が形成されたが、その反面、黄河ほど流域の人民に過酷な災害をもたらした河川もまた世界でその比をみない。黄河の運ぶ大量の泥土は河床を両側の平地より上昇させて、下流部の河道を天井川化し、しばしば大水害を引き起こし、黄河自体も北は天津(てんしん/ティエンチン)付近から南は淮河(わいが/ホワイホー)までの間でたびたび大幅な河道の変化を生じた。このような大量の泥土の供給源となったのが、黄河中流部に横たわる黄土(こうど/ホワントゥー)高原であった。解放前にはこの泥土の流出を防止することは思いもよらぬことと考えられ、黄河治水対策はもっぱら、いかにして早く泥土を海に流し出すか、または黄河の濁流の勢いを弱めるかに求められた。しかし「水一斗泥六升」と称せられた黄河の濁流を治めることは、一時的成功は得られたにしても長続きさせることはできず、「百年河清を待つ」と嘆かれることにもなった。外国人のなかには黄河を「中国の悲しみ」の源泉とする者さえあったのである。
新中国成立後、中国人民はこの難事業に挑戦し、下流部の氾濫(はんらん)防止と並行して、黄土高原からの泥土の流出の防止に取り組んでいる。水土保持とよばれる事業がそれである。もちろん、数千年にわたって悪地(バッドランド)化が進行してきた黄土地帯の治山事業は、簡単に成功しうるものではなく、いまもなお黄河の含泥量は大きい。しかし、水土保持の成果もまったく無ではないし、解放後黄河は一度も決壊には至っていない。また黄河上・中流の峡谷部には竜羊峡(りゅうようきょう/ロンヤンシヤ)、劉家峡(りゅうかきょう/リウチヤシヤ)、塩鍋峡(えんかきょう/イエンクオシア)、八盤峡(はちばんきょう/パーパンシヤ)、青銅峡(せいどうきょう/チントンシヤ)、三門峡(さんもんきょう/サンメンシヤ)などの大型ダムが完成し、1997年現在李家峡(りかきょう/リーチヤシヤ)ダムが建設中。劉家峡ダムの発電所は出力116万キロワット、竜羊峡は128万キロワット、李家峡は150万キロワットの大型発電所である。三門峡ダムは貯水能力は300億立方メートルに達するが、排泥のため通常は満水にせず、泥を下流に流すことに重点を置いているため、出力は25万キロワットと低い。現在洪水調節のために洛陽近郊に小浪底ダムを建設中である。下流部では黄河の水による灌漑(かんがい)も盛んで、鄭州付近では水田化が進み、人民勝利渠(きょ)により衛河(えいが/ウェイホー)に水を補給している。中流部の寧夏平原、内モンゴルの五原(ごげん/ウーユワン)付近、支流渭河(いが/ウェイホー)の西安周辺では灌漑水路が何本も開かれている。山東・河南省境付近には東平湖遊水地もつくられ、洪水を調節している。地下資源としては河口付近に勝利油田があり、また中原(ちゅうげん)油田も河南省濮陽(ぼくよう/プーヤン)付近に開発されている。中流部の内モンゴル自治区、寧夏回族自治区内の沿岸には陜西、山西両省とともに石炭の埋蔵が多い。中・下流域の農産物は小麦、雑穀のほかワタ作が盛んで、19世紀なかばまでの旧河道ではラッカセイが栽培され、ゴマ、タバコも産する。ただ大河であるのに水運の便はよくなく、局部的に船が通じるにすぎない。また最近では降雨の少ない年には下流部で流水が欠乏し、河床が干上がってしまう時期がみられ、水の確保が重要課題となっている。
[河野通博]
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長江に次ぐ中国第2の長流。崑崙(こんろん)山脈に源を発し,青海,甘粛,内モンゴル,山西,陝西(せんせい),河南をすぎて渤海(ぼっかい)湾に注ぐ。黄土層地帯を流れるため,河水は黄濁し,下流域に堆積する黄土のため,古来大洪水を起こすことが多く,河道もしばしば変動し,その治水は歴代王朝の悩みであった。しかし沃土の随時堆積は農業の発達をもたらし,その中・下流域は中国文明の発祥地となり,歴代王朝も多くここを中心に興亡を繰り返した。今日では各所にダムが建設され,新しい黄河利用が始まっている。
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…中国の北部,黄河の下流域に位置する省。地域の大部分は黄河の南にあり,河北,山東,安徽,山西,陝西,湖北諸省に隣接し,全国的にみて山地と平原との中間地帯を占める。…
…中国の華北地区にある中国第2の広大な沖積平野で,海河,黄河,淮河(わいが)の流域に属するので黄淮海平原とも呼ばれる。西は太行山脈と伏牛山脈,北は燕山山脈,南西は大別山脈と桐柏山脈によって限られ,南東部は淮河をへだてて江淮平原と接する。…
…モンゴル高原縁辺部には合黎,竜首などの山脈が,青蔵高原縁辺部には青海との省境を成す標高3000m級の祁連(きれん)山脈が,それぞれほぼ北西~南東方向に走り,その間に甘粛(河西)回廊と呼ばれる長さ約1000km,幅数km~100kmの平地がある。省南西部には西傾,岷山(みんざん)などの山脈が走り,南東部からは黄河と長江(揚子江)の分水嶺を成す標高2000~3000mの秦嶺山脈が東へのびている。また,中央部の寧夏回族自治区との境を六盤山脈が南北に走るが,これがしだいに低くなって東部の黄土高原へとつづく。…
…一説に,中国の汚濁を海に流す大河を指すともいう(《白虎通》巡狩)。一般には,長江(揚子江),黄河,淮水(わいすい),済水を数える。四瀆は古くから神としてまつられてきたが,五岳とともに国家の祭祀の対象となるのは前漢宣帝の神爵1年(前61)からで,四瀆のおのおのについて特定の地に廟が建てられた。…
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[古代の運河]
中国最古の運河は,春秋時代に宋国が済水(せいすい)岸の陶(山東省定陶県)から南東に向かって開いた菏水(かすい)で,済水と泗水(しすい)とを連絡したものである。南では呉国が今の揚州市から北へ淮河(わいが)岸の淮安市付近まで邗溝(かんこう)という運河を開き,淮河を経て泗水に通ずるようにしたので,黄河と長江(揚子江)とは水路で連絡されるようになった。戦国時代に魏国が大梁(河南省開封市)に都を定めると,西方の滎陽(けいよう)から運河を開き,黄河の水を導いて大梁に水路を通じた。…
…このため,古くは《書経》禹貢,さらに《史記》河渠書,《水経注(すいけいちゆう)》などの専門的書物が生まれたほど,水系の把握は歴代王朝の政治的課題となった。ただし文献的には,黄河の大堤の建設,運河の邗溝(かんこう)の開削などは春秋時代にさかのぼり,小規模な灌漑工事は西周時代に行われていたことが知られるものの,本格的で大規模な水利工事建設は,戦国時代に始まったようである。 《史記》河渠書には,戦国時代の水利技術者として,蜀の李冰(りひよう),魏の西門豹(せいもんひよう),韓の鄭国(ていこく),前漢の汲黯(きゆうあん),鄭当時らの名が見える。…
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大阪府中部,大阪市の中央部にある運河。東横堀川から中央区の南部を東西に流れて木津川にいたる。全長約 2.5km。慶長17(1612)年河内国久宝寺村の安井道頓が着工,道頓の死後は従弟の安井道卜(どうぼ...
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