黒沢明(読み)クロサワアキラ

デジタル大辞泉 「黒沢明」の意味・読み・例文・類語

くろさわ‐あきら〔くろさは‐〕【黒沢明】

[1910~1998]映画監督。東京の生まれ。ダイナミックな映像表現と一貫したヒューマニズムの追求により、国際的評価を受ける。文化勲章受章。没後、国民栄誉賞受賞代表作羅生門らしょうもん」「生きる」「七人の侍」「影武者」「」など。

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精選版 日本国語大辞典 「黒沢明」の意味・読み・例文・類語

くろさわ‐あきら【黒沢明】

  1. 映画監督。東京の生まれ。ダイナミックな映像表現と一貫したヒューマニズムの追求により、国際的評価を受けた。代表作に「羅生門」「生きる」「七人の侍」など。明治四三~平成一〇年(一九一〇‐九八

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改訂新版 世界大百科事典 「黒沢明」の意味・わかりやすい解説

黒沢明 (くろさわあきら)
生没年:1910-98(明治43-平成10)

第2次世界大戦中にデビューして戦後の日本映画史を形成したもっとも重要な存在といえる映画作家。東京生れ。画家志望であったが,1936年,PCL(同年,東宝に合併)に入社。主として山本嘉次郎(エノケン喜劇や高峰秀子主演の《綴方教室》1938,《馬》1941)の助監督につき,1943年《姿三四郎》で監督になる。独特の精神主義とリアリズムに徹した映画的技術を2本の柱にして,敗戦後の日本の精神的・物質的状況をダイナミックに分析し(《わが青春に悔なし》1946,《素晴らしき日曜日》1947,《酔いどれ天使》1948,《野良犬》1949),《羅生門》(1950)では,芥川竜之介の《藪の中》に基づく独創的な構成と映像で,世界の映画界を驚嘆させた(ベネチア映画祭グラン・プリ,アカデミー外国語映画賞受賞)。以後,世界文学の映像化(ドストエフスキーの《白痴》1951,シェークスピアの《マクベス》の映画化《蜘蛛巣城》1957,ゴーリキーの《どん底》1957),〈黒沢ヒューマニズム〉の名で呼ばれる人間探求(《生きる》1952),アメリカの西部劇や冒険活劇のスケールを日本の時代劇にとり入れたアクションドラマ(《七人の侍》1954,《隠し砦の三悪人》1958),さらに,その暴力描写のリアリズムによって日本のチャンバラ時代劇の歴史を変えるだけでなく,〈マカロニウェスタン〉と呼ばれるイタリア製西部劇を生み出すきっかけとなって西部劇の歴史をも変えることになる〈黒沢時代劇〉(《用心棒》1961,《椿三十郎》1962)等々,意欲的な試みを行って数々の傑作を生んだ。数人のシナリオライター(小国英雄菊島隆三,橋本忍らに本人みずからも参加)に同一のシーンを別々に書かせて最高のでき上りのものを採用していくという独特の共同作業によるシナリオづくりも注目された。《酔いどれ天使》から《赤ひげ》(1965)に至る〈黒沢一家〉の中心スター・三船敏郎を育て,〈世界のミフネ〉たらしめた功績もある。アメリカ資本による《暴走機関車》《トラ!トラ!トラ!》の映画化は実現せず,黒沢プロダクション解散のあと,69年,木下恵介市川崑小林正樹とともに〈四騎の会〉を結成,その第1回製作《どですかでん》(1970)を初のカラー作品として撮る。71年,自殺未遂事件で再起があやぶまれたが,75年,初の外国映画(ソ連)《デルス・ウザーラ》でよみがえり,モスクワ映画祭グラン・プリ,アカデミー外国語映画賞を獲得。以後,カンヌ映画祭グラン・プリ受賞の《影武者》(1980),フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を贈られたあとの《乱》と,多かれ少なかれ外国資本で独自の日本映画を撮り続けた。
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20世紀日本人名事典 「黒沢明」の解説

黒沢 明
クロサワ アキラ

昭和・平成期の映画監督



生年
明治43(1910)年3月23日

没年
平成10(1998)年9月6日

出生地
東京・大森立会川

学歴〔年〕
京華学園中〔昭和3年〕卒

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和24年〕「野良犬」,ベネチア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞〔昭和26年〕「羅生門」,アカデミー賞外国語映画賞〔昭和50年〕「デルス・ウザーラ」,文化功労者〔昭和51年〕,カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞〔昭和55年〕「影武者」,レジオン・ド・ヌール勲章オフィシエ章〔昭和59年〕,文化勲章〔昭和60年〕,ドナテルロ賞最優秀監督賞〔昭和61年〕「乱」,英国アカデミー賞外国語映画賞〔昭和62年〕「乱」,アカデミー賞特別名誉賞(第62回 平元年度)〔平成2年〕,ソ連人民友好勲章〔平成3年〕,国民栄誉賞〔平成10年〕,日本アカデミー賞脚本賞(第24回)〔平成13年〕「雨あがる」

経歴
画家志望であったが、昭和11年PCL(同年東宝に合併)に入社、山本嘉次郎監督に師事。18年「姿三四郎」で監督デビュー。一作ごとに話題となり、海外でも高い評価を得て、世界の映画史に残る実績を示した。34年東宝専属を離れ、黒沢プロを設立。生涯に「酔どれ天使」「野良犬」「羅生門」「生きる」「蜘蛛巣城」「七人の侍」「赤ひげ」「デルス・ウザーラ」「影武者」「乱」「夢」「八月の狂詩曲」など30作品を製作。特に26年ベネチア映画祭グランプリ受賞の「羅生門」は、日本映画では初の国際グランプリとなり、“世界のクロサワ”の名を高めた。映画手法の面でも内外の映画作家に大きな影響を与え、世界の映画界の至宝といわれた。自作の映画のシナリオも数多く手がけた。59年仏レジオン・ド・ヌール勲章、60年文化勲章受章、平成2年アカデミー賞特別名誉賞などを受賞。11年遺稿の映画化作品「雨あがる」(小泉堯史監督)がベネチア国際映画祭で追悼上映された。著書に自伝「蝦蟇の油―自伝のようなもの」、「全集黒沢明」(全6巻 岩波書店)がある。没後、敗戦後の日本に自信を与えた日本映画界の巨匠として国民栄誉賞が贈られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒沢明」の意味・わかりやすい解説

黒沢明
くろさわあきら

[生]1910.3.23. 東京
[没]1998.9.6. 東京
映画監督。京華学園中学校卒業。 1936年 PCL (東宝の前身) に入社。山本嘉次郎の助監督を経て,1943年『姿三四郎』でデビュー。以後常にダイナミックな劇構成,すぐれた造型美の話題作を発表。滝川事件ゾルゲ事件をモデルにした『わが青春に悔なし』 (1946) ,『素晴らしき日曜日』 (1947) ,『酔いどれ天使』 (1948) ,『野良犬』 (1949) で人間性豊かに第2次世界大戦後の風俗を追求,『羅生門』 (1950) はベネチア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞を受け,日本映画の海外進出に大きく貢献した。以後,現代劇『白痴』 (1951) ,『生きる』 (1952) ,『生きものの記録』 (1955) ,『天国と地獄』 (1963) ,『どですかでん』 (1970) ,時代劇『七人の侍』 (1954) ,『蜘蛛巣城』 (1957) ,『どん底』 (1957) ,『用心棒』 (1961) ,『椿三十郎』 (1962) ,『赤ひげ』 (1965) を発表。 1975年にはソビエト連邦に招かれ『デルス・ウザーラ』を監督するなど国際的にも活躍,『影武者』 (1980) でカンヌ国際映画祭のグランプリを獲得。 1984年フランスよりレジオン・ドヌール勲章,翌 1985年映画人として初の文化勲章を受けた。同年『リア王』を翻案した『乱』を発表。 1990年には,アカデミー賞名誉賞を受賞。晩年まで創作意欲は衰えず 1990年『夢』,翌 1991年『八月の狂詩曲 (ラプソディー) 』と新作を発表し続けた。内田百 閒原作の『まあだだよ』 (1993) が最後の作品。没後国民栄誉賞が贈られた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒沢明」の解説

黒沢明 くろさわ-あきら

1910-1998 昭和-平成時代の映画監督。
明治43年3月23日生まれ。昭和11年PCL(のちの東宝)に入社。18年「姿三四郎」で監督デビュー。「酔どれ天使」などを製作。26年「羅生門」でベネチア国際映画祭グランプリを獲得。「生きる」「七人の侍」「用心棒」などをつぎつぎと発表し,世界からたかい評価をえる。のち海外資本と提携して「乱」などを製作。ダイナミックなアクション表現やヒューマニズムを基調とした作品に特色がある。60年文化勲章。平成10年9月6日死去。88歳。没後,国民栄誉賞。東京出身。京華学園中学卒。
【格言など】私は,一本の作品ごとに,様々な一生を暮して来た。映画の上で様々な人生を経験して来た(「蝦蟇の油」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「黒沢明」の解説

黒沢明
くろさわあきら

1910.3.23~98.9.6

昭和期の映画監督。東京都出身。旧制京華中学卒。1936年(昭和11)PCL(のち東宝に合併)に入社。43年「姿三四郎」で初監督。三船敏郎・京マチ子主演で撮った「羅生門(らしょうもん)」が51年のベネチア国際映画祭グランプリを受賞,躍動感あふれる映像で世界に衝撃を与えた。54年公開の「七人の侍」は,三船敏郎・志村喬などの優れた俳優陣にも支えられ,ことに雨中の騎馬上の戦闘場面など映画史上特筆される映像を撮った。85年文化勲章,98年(平成10)国民栄誉賞追贈。

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367日誕生日大事典 「黒沢明」の解説

黒沢 明 (くろさわ あきら)

生年月日:1910年3月23日
昭和時代;平成時代の映画監督
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の黒沢明の言及

【生きる】より

黒沢明監督の1952年作品。《白痴》(1951)と《七人の侍》(1954)の中間に作られた。…

【榎本健一】より

…むしろ,完全に残っている中川信夫監督の《エノケンの頑張り戦術》(1939)の,にせあんまエノケンと客の如月寛多のマッサージからレスリングもどきにエスカレートするどたばたを,長回しで撮ったしつっこいおかしさに舞台の味がうかがわれる。ほかに,長谷川一夫と共演したマキノ正博(雅弘)監督の《待って居た男》(1942)や,敗戦前後に作られた黒沢明監督の《虎の尾を踏む男達》(1952公開)などに,異色の役どころで好演。後者については黒沢が〈顔で笑って目で泣いてくださいと注文したら,まさにぴったりの表情をしてくれた〉と語っている。…

【隠し砦の三悪人】より

…日本映画。1958年製作の黒沢明監督の初のシネマスコープ作品。戦国時代,男に変装した姫君(上原美佐)を護衛して,忠臣の武将(三船敏郎)が,金に目のくらんだ愚かな2人の百姓(千秋実と藤原釜足)をうまく味方につけて,少数のゲリラ部隊のように敵中突破するという,日本映画には稀有(けう)なスケールの大きい骨太の大活劇。…

【活劇映画】より

… これらの作品には外国映画を模倣したものが数多く,ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の《暗黒街》(1927),《非常線》(1928),《紐育の波止場》(1929),ジョン・フォード監督の《三悪人》(1925),ハワード・ホークス監督の《暗黒街の顔役》(1930,32)などが大きな影響を与えており,それはさらにギャング映画の流行となって,村田実監督,中野英治主演《摩天楼》(〈争闘篇〉1929,〈愛欲篇〉1930),田坂具隆監督,小杉勇主演《昭和新撰組》(1932),小津安二郎監督,岡譲二主演《非常線の女》(1933)などを生み出した。やがて第2次世界大戦の進展とともに,映画興行も制限され,外国活劇のヒットは見られたものの,日本の活劇は,わずかに黒沢明の柔道映画《姿三四郎》(1943),《続・姿三四郎》(1945)を例外として,戦争活劇が主体になっていった。
[戦後の活劇]
 戦後の活劇の隆盛をもたらしたのは新会社,東映で,前身の東横時代から,占領軍による時代劇規制のもと,時代劇スターが現代劇に出演,片岡千恵蔵の《多羅尾伴内》シリーズ(1947‐60)や《にっぽんGメン》(1948),市川右太衛門の《ジルバの鉄》(1950),両者共演の《難船崎の決闘》(1950)などがつくられ,これらの探偵活劇や暗黒街活劇は〈時代劇王国〉東映のもう一つの顔になった。…

【七人の侍】より

…西部劇のスケールの大きさを日本映画にとり入れた黒沢明監督の時代劇。1954年製作。…

【姿三四郎】より

…これが彼の出世作となった。苦学しながら警視庁の武術試合に出場するまでにいたる柔道家を描いた物語だが,1943年に黒沢明の監督第1作として映画化されたことで一躍評判となった。また,いわゆる名勝負物語として,小菅一夫脚色で浪曲化され,落語家式のすわり高座で売った2代広沢菊春(1916‐64)が十八番にしていた。…

【酔いどれ天使】より

…1948年製作の東宝映画。黒沢明監督作品。戦後の貧しい青春を描いた《素晴らしき日曜日》(1947)につづいて,脚本は植草圭之助とのコンビによっている。…

【用心棒】より

…1961年製作の日本映画。黒沢明監督,東宝/黒沢プロダクション作品。汚職を社会悪としてとり上げた《悪い奴ほどよく眠る》(1960)につづく黒沢プロダクション(1959設立)の第2回作品で,脚本は菊島隆三と黒沢の合作。…

【羅生門】より

…1950年製作の日本映画。黒沢明監督作品。芥川竜之介の短編小説《藪の中》を基に,《羅生門》からのエピソードも加えて,橋本忍と黒沢が共同で脚本を書いた。…

【わが青春に悔なし】より

…1946年製作の東宝映画。黒沢明監督の戦後第1作(《虎の尾を踏む男達》が終戦直後に完成していたが,占領軍の検閲によって公開を保留され,1952年まで公開されなかった)。木下恵介監督の戦後第1作《大曾根家の朝》(1946)とともに戦後の日本の〈民主主義映画〉のさきがけをなした名作で,脚本は《大曾根家の朝》の脚本も書いている戦前からの社会主義リアリズムの劇作家久板(ひさいた)栄二郎である。…

※「黒沢明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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