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日本の国家主義団体。三国干渉に憤慨した内田良平(りょうへい)らが1901年(明治34)に結成。主幹に内田、顧問に頭山満(とうやまみつる)が就任、玄洋社(げんようしゃ)の系譜を引く。大アジア主義・大陸進出を唱えて『黒竜』『東亜月報』などの雑誌を発行する一方、諸方の実地調査や地図の編纂(へんさん)など、帝国主義的アジア研究にも先鞭(せんべん)をつけた。多くの大陸浪人を擁し、フィリピン独立運動や孫文(そんぶん/スンウェン)の中国革命運動にもある程度参画した。国内問題では大正デモクラシーの潮流や社会主義思想、労働運動に敵対し、日本の代表的右翼団体として世界的に有名であった。昭和のファシズム期には国家改造運動に傾斜し、1931年(昭和6)内田らが結成した大日本生産党の母胎となり、実質的にはこれに合流した。敗戦後の46年(昭和21)占領軍の指令で解散した。大著『日韓合邦秘史』『東亜先覚志士紀伝』などを刊行している。
[岡部牧夫]
『黒竜倶楽部編『国士内田良平伝』(1967・原書房)』
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…やがて玄洋社は自由民権運動からはなれ,条約改正即時断行,日清開戦,大陸への進出などの対外強硬策を主張する国家主義団体に成長していった。さらに1901年には,三国干渉後の対露強硬世論の高揚を背景に,内田良平らによって黒竜会が結成された。明治期の右翼団体は,天皇中心主義,国家主義,大アジア主義,現状打破などの主張をかかげて多くの大陸浪人を擁し,一方では大アジア主義の主張から金玉均,孫文,E.アギナルド,B.ボースらアジア各国の独立運動家を援助したが,他方では日露開戦,日韓併合の推進などを主張して軍部と結び,つねに大陸侵略の先兵の役割を果たした。…
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