てい【鼎】
〘名〙
① 古代
中国で、飲
食物を煮るのに用いた金属製の
容器。二つの耳と三本の足をもつ。古くは
土器であり、飲食物を煮るだけに用いたが、のち、祭祀用になった。特に、夏の
禹王(うおう)が九か国の銅を集めて九鼎を作ってから、
王位、帝位を表わすようになった。
祭器としては「
かなえ」と呼ぶことが多い。
※新
浦島(1895)〈
幸田露伴〉一一「鼎
(テイ)はそもそもどんなもの火候は
摂氏の何度たるべき、外丹は真に磠砂水銀など用ゐて化学臭い真似して作るか」
② 易の六十四卦の一つ。


。上卦は離(火)、下卦は巽(風・木)。火風鼎ともいう。初爻
(こう)の陰は足の象、二より四までの陽は腹の象、五爻の陰は耳の象、上爻の陽はつるの象で、全卦で鼎
(かなえ)の形を示し、革新のさまを表わす。
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デジタル大辞泉
「鼎」の意味・読み・例文・類語
かな‐え〔‐へ〕【×鼎】
《「金瓮」の意》現在の鍋・釜の用に当てた、古代中国の金属製の器。ふつう3本の脚がついている。王侯の祭器や礼器とされたことから、のち王位の象徴となった。
てい【×鼎】
古代中国で用いられた円形三足の器。煮炊きのほか祭祀にも用いられた。方形四足のものは方鼎という。かなえ。
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鼎【てい】
中国の三足容器の一種で,三脚の下で火をたいて食物を煮るもの。〈かなえ〉とも。新石器時代後期の竜山文化期に土製のものが現れ,殷(いん)代中期から青銅製のものがつくられ形式・装飾とも多様化した。犠牲を煮て神にささげるところから,祭器の中でも特に重視された。
→関連項目燕下都遺跡|青銅器|毛公鼎|鬲
鼎【かなえ】
長野県飯田市の一地区。下伊那郡の旧町で,1984年飯田市に編入。伝統の水引製造で知られる。
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てい【鼎 dǐng】
〈かなえ〉とも読む。中国古代に,魚,肉,ときには穀物を煮るために使った器。3本の中実の足の上になべ形の容器をのせた形をしていて,新石器時代後期の竜山文化期に土製のものが現れ,殷代中期ころから青銅製のものがつくられ,ともに漢代まで併せ使用された。殷代中期から西周代前期にかけての時期だけに方鼎という,長方形の箱状の器に中空の4本足をつけたものがあり,高さが1m以上のものもある。青銅製の鼎にはすべて1対の耳があり,鉉(げん)といわれる横木を通したり,
(よく)という鉤で引っかけたりして持ち運んだ。
かなえ【鼎】
長野県南部,下伊那郡の旧町。1984年12月飯田市に編入。伊那盆地南端に位置し,近世以来の水引の生産や製糸が盛んであった。天竜川支流の松川沿いにあって水利にも恵まれ,飯田市の近郊農業地域として発展してきたが,食料品をはじめ,電気,精密機械などの工場が立地し,住宅地化も進んだ。JR飯田線が通じる。【萩原 毅】
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鼎
てい
ding
中国古代に使用された肉を煮る礼器。3足ないし4足 (方鼎) で,青銅製と陶製のものがある。仰韶期,竜山期にも三足器は知られるが,礼器としての鼎の出現は殷代に入ってからである。殷・周時代に広く用いられ,漢代にも知られるが,隋・唐以後はみられなくなる。
鼎
かなえ
長野県南部,伊那盆地の旧町名。 1984年飯田市に編入。天竜川の支流松川の沖積地と段丘上にあり,昭和初期まで伊那の養蚕,製糸の一中心をなした。飯田市街地郊外の新たな商業地域となっている。
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世界大百科事典内の鼎の言及
【釜】より
…古くは土器で,古墳の副葬品としては,竈,釜,甑(こしき)がひとそろいで発掘されている。金属製の釜は,中国古代に現れた3本足の鼎(てい)を祖型として発達したものと考えられ,日本への渡来時期は不明だが,奈良時代には盛んに用いられていた。多くは鋳鉄製で,銅製もあった。…
【殷周美術】より
…中国の殷・周王朝の時代から秦による統一までを扱う。はじめ夏(か)に天下を治める徳があったとき,遠方の国々は物の図を献じ,鼎(てい)を鋳てその図を彫り込んだ(《左氏伝》)という。楚王が周室の鼎(かなえ)の軽重を問うたときの話である。…
【青銅器】より
…青銅の使用が盛んになるに従ってその類の器は青銅製に変わってゆく。前2千年紀の中ごろ,青銅の使用が始まると同時に青銅製のものが多数作られ始めるのは大型の酒つぼ(有肩尊(ゆうけんそん)),酒を温めて注ぐための注ぎ口と三足をもった容器(爵(しやく)),酒の燗をするためのものと思われる大型の三足器(斝(か)),肉を煮るための三足のなべ(鼎(てい))である。 この時期の青銅容器は薄手に作られ,文様は凸線ないし版木のように上面の平らな幅広い帯で表され,抽象的な表現の目鼻をもった神像(饕餮(とうてつ)文)を主にし,種類の変化はあまり多くなく,簡素な感じのものである。…
※「鼎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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