P&O汽船(読み)ぴーあんどおーきせん(英語表記)The Peninsular and Oriental Steam Navigation Co.

日本大百科全書(ニッポニカ) 「P&O汽船」の意味・わかりやすい解説

P&O汽船
ぴーあんどおーきせん
The Peninsular and Oriental Steam Navigation Co.

イギリスにあった大手海運会社。略称P&O。1822年イギリスの実業家ウィルコックスBrodie McGhie Willcox(1786―1862)と、元海軍事務官アンダースンArthur Anderson(1792―1868)が、共同経営の海運会社をおこしたことに始まる。アンダースンはシェトランド島生まれで、1815年以来ウィルコックスが経営する会社の従業員であった。彼らはイギリスとイベリア半島間に帆船と汽船を就航させた。1830年代初めのポルトガルとスペインでの自由主義者の反乱のときには、両国王室に対してそれぞれ武器や軍隊輸送、資金の調達などを行って支援した。1835年にはダブリンの船主だったボーンRichard Bourne(1787ころ―1850)が経営に参加し、半島汽船会社The Peninsular Steam Navigation Co.を設立して、ロンドンとスペイン、ポルトガル間の定期船を運行させた。さらに1837年にはイギリス―スペイン間の郵便輸送契約をイギリス政府と初めて締結し、政府補助によって財政的な安定を得た。その後郵便輸送定期航路をエジプトまで延ばし、1840年には、王の特許状によってThe Peninsular and Oriental Steam Navigation Co.(P&O)の社名で法人化された。同社は、新たにオリエンタルの名を冠して東洋への航路拡大を目ざすとともに、一般の会社法の規制を受けない法人組織となった。1842年にはインドへの定期航路を開始し、カルカッタ(現コルカタ)への郵便輸送も行った。これはカイロを経由して、砂漠を横断してスエズ地峡に達するルートであった。1845年にシンガポールと香港(ホンコン)、1852年にシドニーへと航路を広げた。アヘン戦争(1839~1842)やクリミア戦争(1853)では兵隊や軍事物資の輸送により莫大(ばくだい)な利益をあげた。

 1859年(安政6)末、日本の近海輸送にも進出して、独占的地位を確保していたが、1876年(明治9)、郵便汽船三菱(みつびし)会社と横浜―上海(シャンハイ)航路をめぐって激しく争い、敗退した。またボンベイ航路で運賃同盟を結成していたが、三菱会社と共同運輸の合併によって成立した日本郵船紡績連合会と配船契約を結んで対抗したため、独占的運賃同盟は失敗に終わった。1869年のスエズ運河開通によって、新規参入する海運会社との競争でP&Oの収入は減少したが、大幅な経費削減と、より高性能な船舶の導入によりこの危機を脱した。

 1914年から1946年にかけてP&Oは大小さまざまな船会社を吸収合併して拡大路線をとり、1920年代なかばには500隻近くの船舶を所有していた。両世界大戦のときには同社の船舶は政府の管轄下に置かれ軍隊輸送船や武装商船として用いられ、第一次世界大戦で85隻、第二次世界大戦で179隻を失った。

 第二次世界大戦後は、イギリス帝国が所有していた多くの植民地が独立したため、植民地航路の役割は低下した。また戦後の海上輸送需要の変化に対しては技術革新によって対応した。たとえば、それまでは客船、フェリー、港湾サービス分野を中心に事業を行ってきたが、タンカーやコンテナ船をはじめとする大型貨物船の導入、さらには建設・不動産部門にも進出した。客船部門では、1974年にロサンゼルスに本拠を置くプリンセス・クルーズPrincess Cruises社を傘下に収め、傘下会社のP&Oクルーズ社P&O Cruises(UK)とともに北米およびヨーロッパ地域を中心に豪華客船を運行した。フェリー部門では、イギリスとヨーロッパ大陸、スコットランド北アイルランドなどを結ぶ近距離航路を中心に、ヨーロッパ最大の規模を誇った。港湾サービス部門では、オーストラリアを中心に15か国50か所以上のコンテナ基地をもち、冷凍・保冷倉庫も備えて、物流事業の拡大を図った。

 1950年代なかばに始まったタンカーとコンテナ船輸送ではヨーロッパ屈指の規模を誇った。1969年、P&Oはイギリスの大手船会社ブリティッシュ・コモンウェルス・ホールディングスBritish and Commonwealth Holdings、ファーネス・ウィジーFurness Withy、オーバーシーズ・コンテナーズOverseas Containersとともにオーバーシーズ・コンテナーズ・リミテッドOverseas Containers Limited(OCL)を設立したが、1986年に他社の持分(もちぶん)を買い取り、OCLをP&OコンテナP&O Containers Limited(P&O CL)と社名を変更した。このP&O CLは1996年にオランダのネドロイドNedlloyd社と合併して、P&OネドロイドP&O Nedlloyd社となったが、2005年にはデンマークの海運コングロマリットのA.P.モラー・マスクA.P. Moller-Maersk Group社に買収された。

 1994年の英仏海峡トンネルの開通によってイギリスとヨーロッパ大陸との乗客貨物輸送は鉄道に奪われて赤字に転落した。そのため、P&Oは1998年にスウェーデンの海運会社、ステナStena社と合併して、P&OステナP&O Stena社を発足させた。また建設・不動産部門は1974年に買収したボービス・グループBovis Groupを中心に不動産開発や住宅建設を行っていたが、1998年、ボービス・グループを分離した。

 2006年3月、ドバイ政府が所有するドバイ・ポーツ・ワールドDubai Ports World社が、39億ポンドでP&O買収を提案し、それを受け入れたため、165年にわたるイギリスの代表的会社の一つであったP&Oはドバイ資本の軍門に下ることになった。

[湯沢 威・上川孝夫]

『後藤伸著『イギリス郵船企業P&Oの経営史 一八四〇‐一九一四』(2001・勁草書房)』

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