《われらクロンシタットより》(読み)われらくろんしたっとより

世界大百科事典(旧版)内の《われらクロンシタットより》の言及

【ソビエト映画】より

…最初のトーキーは,エックN.V.Ekk(1902‐59)監督が浮浪児の救済と教化を描いた《人生案内》(1931)である。トーキーがつくり始められたときと社会主義的建設が推進された時期とが重なり合い,30年代のソビエト映画は社会主義リアリズムを最高の課題にかかげ,1927年から始まった5ヵ年計画の達成をテーマとしたエルムレルF.M.ErmlerとユトケビチS.I.Yutkevich共同監督の《呼応計画》(1932),ワシリエフ兄弟監督の内戦の英雄的叙事詩ともいうべき《チャパーエフ》(1934),白軍との戦闘における水兵の英雄的なたたかいを描いたジガンE.L.Dzigan監督の《われらクロンシタットより》(1936)などが新しいリアリズムの代表作である。ソビエト映画は特定の個人ではなく集団を主人公として描いてきたが,ロンムM.I.Romm(1901‐71)監督は,十月革命の歴史的な道程のなかのレーニンを人間的にとらえて《十月のレーニン》(1937),続いて《一九一八年のレーニン》(1939)をつくった。…

※「《われらクロンシタットより》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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