世界大百科事典(旧版)内の《ワルトブルクの歌合戦》の言及
【オフターディンゲン】より
…中世ドイツの伝説的詩人。この人物の登場する最古の作品は中世ドイツ語の論争詩《ワルトブルクの歌合戦》の前編〈君主賛美〉で,その冒頭に本作品の詩形の創案者として紹介されている。客観的伝記資料は皆無であるが,それは他の多くの中世ドイツ詩人の場合も同様であるから,この場合に限って架空人物と見なす理由はない。…
【チューリンゲン】より
…次のルートウィヒ3世敬虔侯は,57年皇帝フリードリヒ1世のイタリア遠征に随行し,ハインリヒ獅子公との関係決裂にさいしては皇帝を助け,また第3回十字軍に参加して,90年帰途キプロスで死んだ。そのあとを弟のヘルマン1世Hermann I(1155ころ‐1217)が継ぐが,彼は文芸愛好の君主として知られ,ドイツ中世吟遊詩人の代表者であるワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデ,ウォルフラム(エッシェンバハの)などが彼の宮廷のあるアイゼナハを訪れ,13世紀半ばに成立した長編抒情詩《ワルトブルクの歌合戦》は,中世チューリンゲン文化の全盛期をしのばせるものがある。13世紀初頭の方伯ルートウィヒ4世Ludwig IV der Heilige(1200‐27)は,ハンガリー王の娘,聖エリザベートと結婚したが,皇帝フリードリヒ2世に従って第5回十字軍に出征し,オトラントで死去した。…
※「《ワルトブルクの歌合戦》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」