にせドミトリー1世(読み)にせドミトリーいっせい(英語表記)Lzhedmitrii I

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「にせドミトリー1世」の意味・わかりやすい解説

にせドミトリー1世
にせドミトリーいっせい
Lzhedmitrii I

[生]?
[没]1606.5.27. モスクワ
ロシアの僭主。にせディミトリー1世とも表記される。イワン4世の子ドミトリー・イワノビッチと自称し,1605~06年ツァーリとなる。ポーランド貴族やモスクワ政府に反対する不満分子支持を得て,1604年秋ロシア領に侵入,各地に起こった農民反乱や,ボリス・ゴドゥノフの死に助けられて,1605年6月30日(旧暦 20日)モスクワに入った。しかし彼に従ってきたポーランド人を優遇したため,ロシア人の宗教的・民族的反感を買い,1606年5月の反乱で殺された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android