改訂新版 世界大百科事典 「アガシー」の意味・わかりやすい解説
アガシー
Jean Louis Rodolphe Agassiz
生没年:1807-73
自然史学(地質学,古生物学,動物学)者。スイスの牧師の子として生まれ,美しい風光と宗教的雰囲気の中で育つ。ドイツの大学に学び,学生時代から魚化石の研究をおこない,後にパリのG.L.キュビエの指導をうける。1832年ヌシャテル大学の教授となる。33年から44年にかけ《魚化石の研究Recherches sur les poissons fossiles》の大冊を出版し,シーラカンスなどを命名した。ついで氷河の研究をおこない,1840年に《氷河の研究Études sur les glaciers》を出版し,ヨーロッパ大陸をおおう大氷床の存在と氷河時代の概念を提唱して,センセーションをまきおこした。これはスイスの氷河の研究からの帰結でもあるが,宗教的背景も無視できない。当時,地質時代について,ノアの洪水を認めるW.バックランドと,そういう異常な時代を認めないC.ライエルらの斉一説が対立していた。バックランドはアガシーの考えを非常に喜び,ライエルらは氷河時代に反対した。アガシーは同じ観点からC.ダーウィンの進化論には強く反対し,種の恒久性を主張した。46年渡米し,翌年ハーバード大学教授となり,同大学に比較動物学博物館を創設,またアメリカ大陸の自然史の研究にあたった。教育者としては多くの後進を育てた。明治初年来日して進化論を伝えたE.S.モースは,アガシーの助手であった。
執筆者:清水 大吉郎
アガシー
Alexander Agassiz
生没年:1835-1910
アメリカの海洋学・動物学者,鉱山技師。J.L.R.アガシーの子。スイス生れ。1849年アメリカの父の下に移り,ハーバード大学で工学・動物学を学んだ。59年ハーバード大学比較動物学博物館に父の助手として勤めたが,66年より69年までミシガン州のカリュメットおよびヘクラ銅山の開発・経営を行い成功し,富を得た。彼はこの富をハーバード大学および同大学比較動物学博物館に贈り,また彼自身の研究活動に役立てた。73年妻と父を失い,その後は健康を考え冬季は熱帯に研究旅行,夏季にはロード・アイランドの私設研究所に,また秋と春はケンブリッジおよびミシガンにおいて研究を続けた。1860-70年後半の彼はアメリカ東部沿岸のウニ類の研究を行い,チャレンジャー号の標本も研究した。77年からは深海の生物に関する興味を深めた。鉱山技師としての経験を生かした採集技術の開発を行い,さらに鉱山事業成功で得た金を研究の遂行,成果の出版等,海洋学・動物学等の発展のために役立てた。カリブ海におけるブレーク号,ガラパゴス島,カリフォルニア沖におけるアルバトロス1世号の調査等である。82年以降はサンゴ礁の問題に情熱を傾け,多くの研究航海をバハマ,バミューダ,グレート・バリア・リーフ,フィジー,モルジブ等で行った。この結果に基づき,環礁の形成に関するダーウィンの説に反対する仮説を提唱した。
執筆者:根本 敬久
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報