シーア派の一分派。ヌサイリーNuṣayrī派とも呼ばれる。現在シリア,トルコ南東部および一部レバノンに居住するが,そのうち多数はラタキア背後の山地に集中し,シリア人口の1割強を占める。教義は特定サークルの秘伝とされ,また女性は魂をもたぬ存在とみられた。教義上イスマーイール派の影響が顕著だが,シリアの土着的宗教伝統のうえにキリスト教とイスラムを折衷したものともみられる。人類史の七循環期においてそれぞれ奥義を体現するサーミト(沈黙者)をナーティク(語る者,預言者)より上位に置き,その結果,第4代カリフ,アリーを神格化し,またアリー,ムハンマド,教友のペルシア人サルマーンの3人--頭文字をとってアイン(` ),ミーム(m),シーン(s)--の組合せ(月,太陽,天空に比せられる)を重視する。オスマン帝国下で19世紀前半までは一定の自治が認められ,またフランスのシリア委任統治は分割支配政策としてその自治権を強調し操縦した。独立後もシリアの軍人に占める比重は大きく,さらにアサドなどバース党の有力指導者もこの派に属するものが多い。
執筆者:板垣 雄三
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別名ヌサイリー派。シーア派の極端な一分派。第4代正統カリフ,アリーを神格化する秘伝的な教義を持つ。シリアやアナトリア南東部などに分布,オスマン帝国下では一定の自治を容認されていた。シリアを委任統治したフランスは,分割統治のためアラウィー派を優遇した。そのため独立後も支配政党バース党の有力者にはアラウィー派の教徒が多い。
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(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)
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…イスマーイール派は〈生きイマーム〉信仰が強く,イマームに服従する。イマームを神格化する派は極端派(グラートGhulāt)と呼ばれ,カルマト派,ヌサイリー派(アラウィー派)がある。これに対し十二イマーム派は穏健な立場をとり,フサインの子孫にイマームをたどり,隠れイマームのガイバの期間は,その意志は宗教法学者ムジュタヒドによって解釈され,また政治的にもムジュタヒドによる指導が行われるべきだという立場をとる。…
…ほかに,中東戦争やレバノン内戦によって難民が流入し,パレスティナ難民が20万人,レバノン難民が30万~40万人存在する。 宗派的構成も複雑で,イスラム教徒86%(スンナ派71.9%,アラウィー派12.5%,イスマーイール派0.8%など),キリスト教徒9.9%(ギリシア正教,シリア正教,マロン派,アルメニア教徒など),ドルーズ派2.9%,その他1.2%から成っている。
【政治,近代史】
第1次世界大戦後,1920年のサン・レモ会議によりフランスの委任統治下に入ったシリアでは,オスマン帝国時代の遺制を再編,温存してこれを支配しようとするフランスと,シリアの独立を要求する民族主義運動との対抗が展開された。…
※「アラウィー派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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