翻訳|Aragon
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スペイン北東部の地方。サラゴサ,ウェスカ,テルエルの3県からなり,人口120万4215(2001)。主都はサラゴサ。北は中央ピレネー山脈の山岳地帯,中央にはエブロ川流域の肥沃なバルデス平野,南はテルエル高地帯からなる。大陸性気候で冬の寒さは厳しい。農業を主産業とし,小麦,ブドウ,サトウキビが栽培され,酪農も盛んである。精糖,製紙,食品加工業もある。地方経済にとってエブロ川は重要であるが,水資源の利用をめぐってカタルニャとの間に係争が絶えない。アラゴンの起源は,ウェスカ山岳地帯のハカの住民が8世紀にイスラム勢力を撃退したときに生まれたアラゴン伯領である。1035年ラミロ1世はハカに遷都し王国を築いた。アラゴンはレコンキスタ(国土回復戦争)を進め,イスラム教徒の拠点サラゴサを征服後,1137年バルセロナ伯との婚姻政策によりアラゴン連合王国を形成した。アラゴンは13世紀ピレネー山脈の北側のルーシヨン,セルダニャCerdañaを支配下に置き,バレンシア,マヨリカ,シチリアを占領し,地中海への拡張政策を推進する。14世紀にサルデーニャを占領。15世紀前半にナポリを征服したアルフォンソ5世の時代に絶頂期を迎えた。カスティリャと同一王朝であるトラスタマラ王朝のフェルナンド1世が1402年にアラゴン王に指名され,イベリア半島に統一の気運が醸成される。69年のアラゴンのフェルナンド5世とカスティリャのイサベルの結婚は,スペイン統一を促した。王権が比較的弱かったアラゴン連合王国に比べ,絶大な王権を有するカスティリャは,領土,人口においてもアラゴンに勝ったため,カスティリャを中心に統一事業が行われた。アラゴンの分離主義的傾向は17世紀を通じて強かったが,スペイン継承戦争を機に中世的地方特権を失い,スペインの一地方になる。1936年に始まるスペイン内乱の開始直後,反乱軍に対してアラゴン防衛評議会が結成されたこの地方では,37年12月のテルエル攻防戦,38年秋のエブロ川の戦闘などの激烈な戦いが展開した。
執筆者:岡住 正秀
フランスの詩人,小説家。1919年ブルトン,スーポーとともに雑誌《文学》を創刊,パリのダダ運動で活躍した後,ダダを離れシュルレアリスム運動の主要メンバーの一人となった。詩集《歓びの火》(1920),《永久運動》(1925),小説《アニセまたはパノラマ》(1921),《パリの農夫》(1926)などの作品には,諧謔と抒情の混在する饒舌的文才が遺憾なく発揮されている。共産党入党,マヤコフスキーの義妹エルザ・トリオレとの出会いを契機としてやがてシュルレアリスムとたもとをわかち(いわゆるアラゴン事件),ロシア革命を賛美する《ウラル万歳》(1934)のような詩集を発表するとともに,社会主義レアリスムを唱えて〈現実世界〉の総題をもつ膨大な連作小説を発表しはじめた。第2次大戦中は対独抵抗運動に身を投じ,《断腸》《エルザの瞳》《フランスの起床らっぱ》をはじめとするレジスタンス詩の傑作を次々と発表し,伝統的な詩法で愛国的感情をうたう大民衆詩人として広く愛誦された。大戦後はフランス共産党中央委員,《レットル・フランセーズ》紙主幹をつとめるとともに,《エルザ》(1959),《エルザの狂人》(1963)をはじめとする抒情詩集を出版。一方小説家としても社会主義レアリスムの大作《共産主義者たち》(1949-51)の後,《聖週間》《死刑執行》《ブランシュまたは忘却》などを精力的に執筆,晩年にいたって再び大胆奔放な新技法を開拓した。
執筆者:田中 淳一
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1897~1982
現代フランスの詩人,小説家。ダダイズム,超現実主義運動などに参加したのち,共産主義的文化人を代表する一人となる。レジスタンス運動時代の詩集および小説『レ・コミュニスト』などの作品で有名。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…これに乗じて征服後まもなく半島北辺の山岳部の住民はコルドバの支配を離れて反イスラムの旗の下に独自の社会を営み,時と共にアストゥリアス,ナバラ,カタルニャ等のキリスト教国を形成していった。 後ウマイヤ朝崩壊(1031)後,キリスト教徒は攻勢に転じ,新興のカスティリャとアラゴンが国土回復戦争(レコンキスタ)の先頭に立った。この過程でポルトガルが独立国家となった。…
…結果として,多くの都市がジェノバの影響下に入り,サッサリをはじめ,これらの都市の多くは自治都市として憲章をもつようになった。1326年以降はアラゴン王家が島を支配して封建化をはかったが,自治都市はそれに対して抵抗し,アラゴンの支配が全島に実質的に及ぶのは15世紀中葉になってからのことである。支配勢力としてアラゴンおよびカタルニャ起源の貴族階層が出現するようになったが,スペインのフェリペ2世はサルデーニャ人の権利を擁護し,行政組織を改め,また農業の振興をはかった。…
…さらに自国領以外の土地およびその住民に対する統治行為の意味に〈帝国〉を解するならば,〈スペイン帝国〉は1898年まで続いた。
[スペインの誕生]
15世紀後半,イベリア半島はカスティリャ,アラゴン連合王国(以下アラゴンと略記),ポルトガル,ナバラおよびイスラム教徒のグラナダ王国(ナスル朝)の5ヵ国に分かれ,そこにはまだスペインという国はなかった。しかし,カスティリャにイサベル1世が立ち(1474),次いでアラゴンの王位にフェルナンド2世が就くと(1479),その後40年足らずの間にポルトガルを除く4ヵ国はカトリック両王のもとに一つの王権を共有するという形で新しい政治単位を形成,周辺諸国はこれをスペインと呼び始めた。…
…しかし同年の,国王の異母弟フアン・デ・アウストリアの秘書エスコベードの暗殺事件に関与したことから逮捕され,マドリードの牢に投獄された。90年にペレスは脱走に成功して生国アラゴンへ逃れた。アラゴンにはカスティリャ国内法が適用できないために,国王は異端審問の手によって異端の罪状で彼を処刑しようとした。…
…〈ヌーベル・バーグとはゴダール・スタイルのことだ〉とジャン・ピエール・メルビル監督にいわしめた衝撃のデビュー作《勝手にしやがれ》(1959)以来,映画の文法や概念そのものを覆しつつ,映画とは何かを問い続けてきたジャン・リュック・ゴダール監督の9本目の長編作品である。漫画本から詩,絵画,哲学,ミステリー小説,映画等々に至る無数の引用に彩られた〈ゴダール・スタイル〉の頂点ともいうべき作品で,《芸術とは何か,ジャン・リュック・ゴダール?》と題する長い賛辞をこの映画にささげた詩人のルイ・アラゴンによって,絵画の〈コラージュ〉に匹敵する映画として評価された。ゴダール自身も,色彩や画面づくりなどの技術的な面も含めて,この映画をみずからの体験や感覚や記憶のコラージュと定義する。…
…発端は1919年に彼とスーポーとが試みたいわゆる〈自動記述(オートマティスム)〉(《磁場》1920)にある。この実験の結果,思考の純粋かつ原初的な姿に触れうると信じた彼らは,アラゴン,エリュアールらとともに,その確信にもとづく新しい思想と運動の可能性を探りはじめた。20年からはツァラ,ピカビアらのパリ・ダダの運動に参加するが,他方,ペレ,デスノス,クルベル,エルンストらの詩人,画家を加えて,夢や催眠術,霊媒現象などの実地研究を行い,それらを通じて,理性の統御を受けないオートマティックな思考の存在を確認,これをかりに〈シュルレアリスム〉と名づける。…
…世界最初の女流監督として知られるアリス・ギーAlice Guyの後を継いで製作責任者兼監督となったルイ・フイヤードの力で,ゴーモン社は1910年代半ばには完全にパテー映画社を追い越してフランス映画界の覇者となった。その頂点が《ファントマ》(1913‐14)から《ドラルー》(1915‐16),《ジュデックス》(1917)に至るフイヤード監督の連続活劇film à épisodes(〈シネ・ロマン〉とも呼ばれた)で,興行的大成功のみならず,芸術家(なかでもブルトン,アラゴンをはじめとするシュルレアリストたち)を熱狂させたのであった。アラゴンの処女小説《アニセまたはパノラマ》(1920)には〈活劇〉と題する章があり,〈まさに現代にふさわしい見世物〉として連続活劇へのオマージュがつづられている。…
…ドイツでは19年に〈プロレタリア文化同盟〉が結成され,E.トラー,B.ブレヒト,J.R.ベッヒャー,A.ゼーガースらがプロレタリア作家として活躍した。フランスでも同19年にバルビュスによって反戦と国際主義の立場に立つ〈クラルテClarté〉グループがつくられ,またL.アラゴンのようにシュルレアリスムからプロレタリア文学陣営に加わる詩人も出た。アメリカでは,ロシア革命のすぐれたルポルタージュを書いたジョン・リードを中心に〈ジョン・リード・グループ〉が結成され,ゴールドMichael Gold(1894‐1967),J.ドス・パソスらが参加した。…
※「アラゴン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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