アルジェリア人質事件(読み)あるじぇりあひとじちじけん

知恵蔵 「アルジェリア人質事件」の解説

アルジェリア人質事件

アルジェリア東部イナメナスの天然ガス関連施設で起こった人質事件。2013年1月16日未明、アラブ系の武装集団が同施設の居住区域から出た従業員バスを襲撃、外国人約40人を人質に取り、居住区域を占拠した。人質には、プラント建設大手「日揮」の日本人社員も含まれていた。日本政府はアルジェリア政府に「人命優先」を要請したが、翌17日、武装集団が数台の車に人質を乗せ移動したところを、アルジェリア軍のヘリコプター上空から攻撃。この時、人質にも多くの死者が出たと見られる。
アルジェリア当局の発表によると、その後、居住区域を制圧した軍の特殊部隊が、プラント区域(住居区域から約3キロメートル)に立てこもった犯人17人に投降を呼びかけたものの応じなかったため、事件から4日目の19日にプラントへ接近したところ、犯人全員が人質15人を巻き添えに自爆したという。犠牲者は、日本人10人を含む少なくとも38人(他数名が行方不明)。
事件の首謀者は、アルカイダ系組織「血判団(血判大隊、血盟団)」の司令官モフタル・ベルモフタルと見られる。事件発生の同日、隣国モーリタニアの通信社を通して、「マリに軍事介入したフランスへの報復」という犯行声明を出し、拘束されているテロ犯らの釈放を求めた。ベルモフタルは「イスラムマグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」の元幹部で、前年(12年)AQIMから独立・分派し同組織を結成した。外国人の誘拐・麻薬取引・煙草密売で巨額の富を得ており、これを資金源にリビア内戦で拡散した兵器を入手したと見られる。また、ベルモフタルはムハマド・オマル師(タリバンの指導者)とアイマン・ザワヒリ容疑者(アルカイダの指導者)への忠誠を表明しており、イスラム過激派のシンボル的存在となったウサマ・ビンラディンを信奉しているともいわれる。
こうした点から、欧州各紙の分析によると、本事件はイスラムの大義以上に、人質を盾に取った身代金狙い、あるいはビンラディンへの自己投影に根ざした組織のアピールが目的という見方も強い。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2013年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルジェリア人質事件」の意味・わかりやすい解説

アルジェリア人質事件
あるじぇりあひとじちじけん

2013年1月16日、アルジェリア南部イナメナスの天然ガス採掘施設で発生し、日本人10人を含む39人が犠牲となった人質事件。国際テロ組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織Al-Qaeda in the Islamic Maghreb(AQIM)」の元幹部とされるアルジェリア人のベルモフタールMokhtar Belmokhtar(1972―2013?)率いる30人ほどの武装グループが、プラントから出てきたバスを襲撃、その後プラント内の居住区域に押し入り、大手プラント建設会社「日揮」(本社、横浜市)の日本人社員を含む100人以上を人質に取って立てこもった。武装グループのねらいは外国人であり、襲撃当初から複数の外国人が殺害された。

 事件を短期間で解決するため、アルジェリア軍は早い段階で軍事作戦を強行武装勢力の制圧を優先し、武装勢力とともに人質も乗せられていた車両をヘリコプターから攻撃した。これにより武装勢力、人質の双方に多数の死者が出て、このアルジェリア軍の対応が適切だったのかどうかが、国際的に大きな議論となった。

 事件発生当初から、日本政府には現地一次情報が入らず、対応は混乱し続けた。また、会社や遺族側の要望を聞き入れ、当初は被害者の実名を公表しなかった。

[編集部]

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