アーガー・ハーン(英語表記)Āghā Khān

20世紀西洋人名事典 「アーガー・ハーン」の解説

アーガー・ハーン
Āghā Khān


1877.11.2 - 1957.7.11
インドイスラム教ホジャ派指導者。
元・国際連盟インド代表,元・国際連盟会議議長。
カラチ生まれ。
本名スルターン・ムハンマド・シャー
イスラム教ホジャ派の長アーガー・ハーン一世の孫としてカラチに生まれ、8歳で宗主となる。1906年全インド・ムスリム連盟創設に参画し、’07〜14年同連盟議長を務める。親英的立場を貫き、インドの将来は「自治領地位」にあると説いた。’30、’31年ロンドン円卓会議のインド代表の一人となり、’37年にインド人として初めて国際連盟議長に選出された。ジュネーブ死去著書に「過渡期のインド」(’18年)、「回想録」(’54年)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アーガー・ハーン」の解説

アーガー・ハーン
Āghā Khān

イスマーイール派ニザール分派のイマームたちの称号。1881年没のハサン・アリー・シャー以降用いられるようになり,イマーム位とともに世襲されている。ハサン・アリー・シャーはイランコム,ケルマーン地方の知事であったが,カージャール朝宮廷での対立契機に1841年イランを去り,最初アフガニスタンへ,ついでイギリス領インドへ移り,ボンベイに定住した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーガー・ハーン」の意味・わかりやすい解説

アーガー・ハーン
Āghā Khān

イスラム,アサッシン派イマーム (教主) の称号。 1840年イランのカージャール朝宮廷内の紛争のためシンドに逃れたハサン・アリー・シャー (?~1881) が初代。以後ムンバイ (ボンベイ) を本拠にインド,イラン,中央アジア,シリア,東アフリカの同教徒の指導者として活動。現在は4世シャー・カリーム・フサイニー (在位 1957~ ) 。

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