イギリスの新構想大学(読み)イギリスのしんこうそうだいがく

大学事典 「イギリスの新構想大学」の解説

イギリスの新構想大学
イギリスのしんこうそうだいがく

キール実験イギリス)]

第2次世界大戦後,ノッティンガム,ハル,エクセターなどいくつかの市民カレッジが大学に昇格したが,これらは新構想大学(イギリス)とはいえない。戦後の新構想大学は1949年に設立されたノーススタッフォードシャー・ユニバーシティ・カレッジをもって始まると見てよい。その時点で独特のスポンサーシップ方式(既存のオックスフォード,バーミンガム,マンチェスターの3大学が同カレッジの教育の質と水準を監督・後援)により,学士学位授与権を認められた。さらに1962年新たにキール大学(イギリス)として発足してからは,「基礎学年コース(イギリス)」を導入するなど大学教育の大胆な実験・革新を志向して,60年代に相次いで新設されることになる新大学の嚆矢となった。文理にまたがる幅広いカリキュラムを通じて教養ある人間の育成を目指した基礎学年コースは,20世紀のイギリスの大学における最も独創的な革新と評価され,「キールの実験」の名を高からしめた。

[新大学の新しさ]

1960年代はかつてない高等教育の拡張期であり,学生数の増大に対応すべく,既存の上級工科カレッジの工科大学への昇格や大学の新設という措置が講じられた。1963年に公表された高等教育に関する最初の包括的調査報告書『ロビンズ報告書』と相前後してイングランドに7校設立された新大学(イギリス)は,もちろん大学進学者の増大という「数の圧力」に対応することを主要目的の一つとしていた。それと同時に,新大学は急速に変化しつつある学問や社会の状況の中で「学問の新地図」を描き,新しい大学教育の実験を行うことも期待された。新大学の設立はサセックス(1961年)皮切りに,エセックス(1961年)ヨーク(1963年)イースト・アングリア(1963年)ランカスター(1965年)ケント(1965年),ウォーリック(1965年)と続いた。またスコットランドと北アイルランドにもそれぞれスターリング(1967年)アルスター(1968年)が設立された。

 これらの新大学はいずれも国家による高等教育計画の下で,設立当初から独自の学位授与権を認められ,国庫補助金の支給にあずかり,カリキュラムと教授法の編成・工夫の自由を得て,さまざまな新構想を打ち出した。学科至上主義(デパートメンタリズム)を打破すべくスクール制を採用して学際領域の研究・教育に力を入れたり,副専攻や複合学位コースを設けたりした。また都市近郊の広大な敷地に建てられたキャンパス型大学においては,充実した学生宿舎を用意し,学生・教師の社交生活の面でも新しい局面を開き,キャンパスとそこにある施設(博物館・美術館や体育館・プールなど)を開放するなど,地域社会への貢献にも積極的にかかわった。ランカスター大学(イギリス)のキャンパス入口に「来訪者歓迎(Visitors are welcome)」と書かれた大きな看板が立てられているのはその象徴である。新大学はまさに新構想大学と呼ぶにふさわしい大学群であった。

[オープン・ユニバーシティとバッキンガム大学

1960年代後半から70年代前半にかけての時期,イギリスにはさらに二つの新しいかたちの大学・カレッジが誕生した。オープン・ユニバーシティとバッキンガム・ユニバーシティ・カレッジである。オープン・ユニバーシティはラジオ,テレビという放送通信メディアを活用して,それまで大学教育を受ける機会に恵まれなかった成人を対象に第2の機会を提供すべく構想された。当初,放送大学(イギリス)(University of the Air)と称されたが,「誰にも開かれた,どこでも学べる大学,あらゆる教授方法と考えに自由な大学」という理念からオープン・ユニバーシティ(Open University: OU)という名称が採用された。実際,その大学教育では放送授業だけでなく,通信教育,対面個別指導,サマースクールも併用された。オープン・ユニバーシティは当時の労働党政権のハロルド・ウィルソン首相と担当大臣ジェニー・リーのアイデアと主導の下に打ち出された新構想であったが,世界に先駆けた大学教育の実験・革新であり,その後の放送・通信を用いる大学のモデルとなった。オープン・ユニバーシティは,ほかの大学と同様,勅許状により1969年に設立されたが,教育科学省の管轄下に置かれた点は他大学と異なっていた。

 バッキンガム・ユニバーシティ・カレッジ(イギリス)は,国庫補助金に依存しないイギリス最初で唯一の私立大学を目指し1973年に設立された。アメリカ流の私立リベラルアーツ・カレッジをイギリスにも設立しようというもので,自由主義経済を奉じるエコノミストや大学人が主導した。ちなみに,カレッジの礎石は当時の教育科学大臣マーガレット・サッチャーの手で置かれている。1983年に念願の勅許状を獲得してバッキンガム大学(イギリス)となった。その後2012年には,ロンドンに人文学ニュー・カレッジ(イギリス)と称するイギリスで2番目の私立カレッジが設立された。この2校はイギリスにおける大学の設置形態面での実験・革新といえよう。
著者: 安原義仁

参考文献: H.J. パーキン著,新堀通也監訳『イギリスの新大学』東京大学出版会,1970.

参考文献: V.H.H. グリーン著,安原義仁・成定薫訳『イギリスの大学―その歴史と生態』法政大学出版局,1994.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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