ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
イブン・トゥールーン・モスク
Mosque of Aḥmad ibn Ṭūlūn
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…【三木 亘】
[美術,建築]
カイロには,イスラム建築の様式的変遷をたどるに十分な遺構がよく保存されている。まず第1に,メソポタミア様式のオリジナルな性格をよく保っているイブン・トゥールーン・モスクMasjid Ibn Ṭūlūn(879),次いでモニュメンタルなファサードなどを特色とするファーティマ朝のアズハル(970‐972),ハーキム(990‐991),アクマル(1125)の各モスク,また今日もなおその威容を伝えている市城門ナスル門Bāb al‐Naṣrとフトゥーフ門Bāb al‐Futūḥ(1087‐92)などが挙げられる。アイユーブ朝の遺構としては,サラーフ・アッディーンがビザンティンの築城技術を取り入れて築いた城砦(カルア。…
…トゥールーン朝の基礎は,トルコ系,黒人,ギリシア人などの奴隷軍人からなる強力な軍隊と,豊かなエジプトの経済であった。とくに,国庫収入はバグダードに吸い上げられることがなくなり,いっそう増大し,現存するカイロ最古のモスク建築であるイブン・トゥールーン・モスクMasjid Ibn Ṭūlūnを建設,シリアにも勢力を伸ばしたが,安定的支配を確立することはできなかった。2代目のフマーラワイフKhumārawayh(在位884‐896)時代には,貢納と引換えにシリアからアナトリア東部にわたる地域の支配権もアッバース朝カリフに認めさせ,最盛期を迎えたが,浪費による財政の窮乏とカルマト派の出現による国内の混乱のために,バグダードのアッバース朝権力が再びその支配を回復した。…
※「イブン・トゥールーン・モスク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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