翻訳|image
ギリシア語のエイコンeikōnやファンタスマphantasmaに対応するラテン語のイマゴimagoに由来し,もともとは視覚的にとらえられたものの〈かたち〉を意味し,転じて諸感覚によってとらえられたものの心的表象を意味するようになった。また,写真や版画のように心的表象の物質化されたもの,想像の産物,夢想,白昼夢のように新しくつくり出された心的表象をもさす。イメージは視覚イメージだけにとどまらず,聴覚イメージ,嗅覚イメージ,味覚イメージ,触覚イメージというものもあるが,中心をなすのは統合力のつよい二つの感覚に関した,視覚イメージと聴覚イメージである。こうしてイメージは次のように定義づけられる。〈イメージとは以前に知覚された,いくつかの感覚的性質を伴う対象についての心的表象である〉,と。ここで,〈いくつかの感覚的性質を伴う〉というのは,たとえば三角形の表象は感覚的性質からまったく切り離されると,もはやなんらのイメージをももちえなくなるからであり,また,もし対象の感覚的性質がすべて保たれていたら,イメージではなくて感覚印象のコピーになるからである。
上述のようなものとしてイメージは感覚印象や感性知覚から観念や概念へと赴く途上にあり,したがって,感性的認識と知的認識との交差路に位置している。イメージはその起源を感覚印象のうちにもってはいるが,感覚印象の場合のように,感官の末端に興奮も見られないし,単なる主観的な状態でもない。では知覚とのちがいはどこにあるのか。知覚にはイメージのうちにある思惟の働きが欠けている。また知覚では対象の現前が前提となっているのに,イメージでは対象は不在である。他方,知的認識にかかわる観念や概念とイメージとのちがいおよび関係であるが,観念と概念のうち,イメージとより大きく対立するのは概念である。イメージが感覚的,個別的,具体的であるのに対して,概念は知的,普遍的,抽象的であるということができる。哲学は普遍的な知を目ざすものとして,概念によって考えようとしてきた。しかし概念あるいは純粋観念によって考えることができるだろうか。一時期そのような思考の可能性を主張する人々もいなかったわけではないが,現在では実験心理学の立場からも否定されている。こうして,イメージなしには考えられないことになるが,もう一方において上述のように,イメージのうちには思惟の働きがあり,したがって思惟なくしては決して想像しないということがある。そしてここで問題になるのは,概念ほどまったく抽象的ではなく,個々人の感受性や経験と結びついている観念である。ひとがある事物についての観念を抱くとは,その事物についてある知的理解をもつこと,その事物を理解することであって,イメージによってなにかを表象することではない。しかし,だからといって観念とイメージはまったく無関係なのではなく,むしろ観念をイメージから分離することはきわめて難しい。われわれのすべての感覚的表象には,知覚においても想い出においても観念が混じっているからである。この結びつきをみとめた上で両者のちがいを示しておけば,次のようになる。〈観念はイメージとちがって潜在的な一群の判断から成っている〉,と。そしてこの判断の要素が強められ,観念のうちに含まれているイメージ性が除去されるとき,そこに得られるのが概念である。概念においては,表象はその客観的な相のもとに,それ自体として存在するもの,それゆえ普遍的な,すべてに有効なものとなるわけである。
イメージと概念とが上述のような関係にあるとき,想い起こされるべき重要な考え方がある。すなわち,〈哲学のあらゆるカテゴリーは,さまざまな段階を経過した。イメージ,イメージ=概念,概念である。この最後の概念の段階以後,哲学の諸カテゴリーは消耗してしまうか,それとも最初の契機つまりイメージとの接触によって,新たな歩みのために新しい力をうるか,そのいずれかである。したがって,概念をそのまま消尽させることなく,イメージとの新たな結びつきによって概念=イメージとして活性化させることが必要である。概念は人間の理論的認識と実践的関心に役立つのに対して,イメージはそこに不在なもの,潜在的なもの,そして〈世界〉を現前させる。概念が特別に人間のものであるのに対して,イメージは〈世界〉にかかわる。と同時に,概念がその抽象作用によって非人間的であるのに対して,イメージは近づきやすく,身近で,暗示的に語るのである〉(H.ルフェーブル《総和と余剰》)。ここには,今日の哲学の課題として,概念がイメージとの結びつきを回復すべきことがよく示されている。
哲学を中心とする西洋の知のなかでは,イメージの軽視と排除は古代ギリシアの自然主義的な見方のなかにもあったが,それをいっそう徹底したのが,自然科学を中心とする〈近代の知〉であった。それは,一方では認識する主体と認識される対象,つまり見るものと見られるものとを引き離して冷ややかに対立させ,自我の存立の基盤を失わせるとともに,他方では世界の人工化と自然の破壊をもたらすことになった。そして今になってわれわれが気づかされたことは,近代の知が排除したイメージが単なる心像や形象にとどまるものではなく,生きられた身体的なものであり,コスモロジカルなものであるということである。つまり近代の知においては意味の濃密なイメージ,聖なるイメージの破壊や追放があり,そのために人間は自然や事物との生きた有機的なつながりを失うことになった。こうして現代におけるイメージあるいはイメージ的全体性の回復の企ては,大きな文明史的な意味をもっている。
→想像力
執筆者:中村 雄二郎
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像、表象、心像などの訳語が使われる。記憶しているもの、あるいは、刺激対象が目の前にないときなど思い出してふたたび表現するといった意味をもっている。また、視覚的、聴覚的、触覚的イメージなどのように、知覚対象の再生された直観的な像を意味することもあるが、この場合は、直観的で具体的な知覚像との区別ができにくい。ただ、イメージは知覚像よりは漠然としていて鮮明さを失っているといえよう。
さらに、ある考え、態度、概念などのように、より抽象的な意味で使われる場合もある。たとえば企業イメージというときには、企業に対する態度、期待、総体的な感情的印象などを意味している。とくに商品イメージの場合、イメージとは消費行動への準備状態であり、態度と異なり安定性に乏しく、短期的でなく、意識とも異なり一貫性に欠け、あいまいで情緒的でもあるなど、きわめて複雑な心的特性の複合体である。
このようにイメージは、具体的、実証的な知識によるよりも、直観的・感情的印象によって形成されるものであり、漠然としていながら行動を規定する力が強いといえる。経験的仮説によれば、イメージ(商品)から行動(消費)の予測が可能であるといわれる。
[今井省吾]
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…物体の1点から出た光線束が光学系による反射と屈折を経た後,再び1点で交わるとき,光線束の出る物体の1点を物点,再び交わる1点を像点といい,像点の集まったものを像と呼ぶ。光学系を通過した光線束が実際に1点に集まる場合を実像real image,光線を逆向きに延長したときに1点で交わる場合を虚像virtual imageという。例えば凸レンズによる太陽の像は実像であるが,姿見に映った像は虚像である。実像の位置に感光材料をおけば像を記録できるが,虚像では不可能である。…
…ただし古代の鏡は技術的に稚拙な銅鏡であり,それが映す像もおぼろげであった。像(イマーゴ,イメージ)が映ること自体が驚異であったことは確かだが,同時に映像は実体に劣るものという認識も確立した。プラトンのイデア論はこれを比喩に用いているし,キリスト教神学の基盤となったパウロの教え(《コリント人への第1の手紙》13:12)でも,現世の人間に可能な認識形態はおぼろげな鏡像にすぎぬ,という比喩を立てている。…
…〈ナポレオン〉という知識に〈1769年〉という知識をつけ加えても,彼の誕生の記憶にはならないのである。それでは,再生とは伝統的にいわれてきたようにできごとの〈表象〉や〈心像(イメージ)〉が出現することであろうか。しかしその際,もしそれらが意識の面前にある何ものかを意味するとすれば,そこでわれわれは表象や心像という実在物の現前に立ち会うことはできても,過去にあったできごとを思い起こすことにはならないであろう。…
…マルクスの弁証法的唯物論による歴史の法則的把握も,サルトルのそれに対する実存主義的な補強も,その発展上に現れたものである。
[イメージの回復――合理主義と非合理主義の間]
上述の,合理主義の形式化と内容の回復という問題は,非合理主義irrationalismの問題ともかかわらせてもっと広くとらえなおすと,イメージ(イメージ的全体性)の追放と回復の問題になる。デカルトの合理論哲学は,明証性を真理の基準として,疑わしいものをすべて排除していった。…
…単数あるいは複数の作られたイメージが,いろいろのレベルでの対応関係に基づいて意味することmeaningにかかわっているとき,そのイメージを図像という。したがって図像においては,そのイメージの形式よりは内容のほうが主として問題とされる。…
…しかし,もともとラテン語のrepraesentatioはギリシア語のphantasiaの訳語であり,対象を〈再re現前praesens化〉するという意味であるから,知覚と区別して,再生心像による対象意識,つまり記憶心像や想像心像だけを表象と呼ぶのが普通である。この場合はイメージ(心像)と同義である。心理学ではこの意味の表象として視覚表象だけではなく,聴覚表象,嗅覚表象,運動表象,混合表象をも認めている。…
※「イメージ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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