ウィクセル(英語表記)Wicksell, (Johan Gustaf) Knut

デジタル大辞泉 「ウィクセル」の意味・読み・例文・類語

ウィクセル(Johan Gustaf Knut Wicksell)

[1851~1926]スウェーデンの経済学者。英国・オーストリアなどに留学、オーストリア学派の影響を強く受けた。近代経済学北欧学派の創立者。著「価値、資本及び地代」「利子と物価」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィクセル」の意味・わかりやすい解説

ウィクセル
Wicksell, (Johan Gustaf) Knut

[生]1851.12.20. ストックホルム
[没]1926.5.3. ストックサンド
スウェーデンの経済学者。スウェーデン学派北欧学派)の始祖。ウプサラ大学数学を専攻したが,当時から功利主義新マルサス主義の影響を受けた急進的社会思想家として知られ,この面は終生続いた。1885~90年イギリス,ドイツ,オーストリア,フランスに留学してしだいに経済学に転じ,古典派経済学とともに新興の限界革命以降の限界主義(→限界分析)に立つ諸理論を研究した。特にオイゲン・ベーム=バウェルクの資本理論に強い影響を受けて『価値・資本および地代』Über Wert,Kapital und Rente(1893)を公刊。同書が経済の実物的側面の考察を主対象としているのに対して,1898年には経済の貨幣的側面を分析した『利子と物価』Geldzins und Güterpreiseを公刊し,自然利子率(→自然利子)と貨幣利子率(→貨幣利子)の乖離から物価の累積的変動が生じるという累積過程の説明などを提示した。これにより,のちの貨幣経済の巨視的動学分析の先駆者となった。1900年ルンド大学教授となり,上記 2著を修正しつつ体系化した『国民経済学講義』(1巻,1901。2巻,1906)を公刊した。人口問題の重視(→適度人口)や財政論の研究でも著名。ただしこれらの貢献が英語圏で注目されるようになったのは, ウィクセルの没後,1930年代に入ってからである。

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改訂新版 世界大百科事典 「ウィクセル」の意味・わかりやすい解説

ウィクセル
John Gustaf Knut Wicksell
生没年:1851-1926

スウェーデンの経済学者。スウェーデン学派の創始者。ストックホルムに生まれ,1876年にウプサラ大学で数学の学位をとるが,社会的正義感の強さから新マルサス主義に傾倒し産児制限等急進的社会政策の唱道者となる。同時に経済学にも興味をもち,ベーム・バウェルクの《資本と利子》を読み本格的に研究を始める。95年に経済学の学位を獲得するが,急進主義思想が災いして,ルンド大学に職を得ることができたのはようやく1900年になってからであった。初期の業績である《価値・資本・地代について》(1893)は,ベーム・バウェルクの資本理論とワルラスの一般均衡理論との統合を試みたもので,新古典派経済学の一つの集大成である。また学位論文(《財政理論研究》1896)で財政理論にも重要な貢献をなしたが,最も独創的な業績は《利子と物価》(1898)で展開された貨幣的不均衡理論である。それは,物価の変動の原因を資本の予想収益率(自然利子率)と銀行の貸出利子率(市場利子率)との乖離(かいり)に見いだしたもので(〈ウィクセル的累積過程〉),その後のヨーロッパにおける貨幣理論と景気変動論に多大の影響力を及ぼすとともに,ケインズ経済学の先駆けともなった。1916年にルンド大学を定年退職後は,学界の指導者として晩年を送った。
貸付資金説
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィクセル」の意味・わかりやすい解説

ウィクセル
うぃくせる
Johan Gustaf Knut Wicksell
(1851―1926)

スウェーデンの経済学者。ストックホルムに生まれ、ウプサラ大学で数学を学んだが、人口問題や社会問題に関心をもつようになり、経済学に転じた。イギリス、オーストリア、フランス、スイスに留学し、1895年に経済学の学位を取得、1904年にルンド大学教授となった。スウェーデン学派の始祖といわれているが、新マルサス主義の信奉者でもあり、人口増加が経済の破局をもたらすと論じた。その急進的な言動によって入獄したこともある。第一の主著『価値・資本および地代』(1893)では、ローザンヌ学派の一般均衡理論による交換理論やオーストリア学派の資本理論をもとに、分配における限界生産力説を展開した。しかし彼のもっとも顕著な貢献は、第二の主著『利子と物価』(1898)において、自然利子率と貨幣利子率(市場利子率)との乖離(かいり)が投資と貯蓄の不均衡を生み、物価の変動を引き起こして、発達した信用制度のもとでは、その物価の変動が累積的な過程をたどると論じて、動学理論の基礎を築いたことである。それは、現代マクロ経済学の先駆として高く評価されている。晩年の著作『国民経済学講義』全2巻(1913、22)は、前2著を整理したものである。彼はまた、財政学の分野では、財政支出を賄う租税は、その支出がもたらす利益の対価としてとらえるべきだとする利益説の提唱者としても知られている。

[志田 明]

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百科事典マイペディア 「ウィクセル」の意味・わかりやすい解説

ウィクセル

スウェーデンの経済学者,ルンド大学教授。スウェーデン学派の祖。オーストリア学派のベーム・バウェルクの著作《資本と利子》に刺激されて研究活動に入る。資本の収益力を示す自然利子と現実の金利が一致しない不正常状態が価格の変動を招くという経済の動態過程の分析で著名。ケインズ経済学の先駆けとも見なされる。主著《利子と物価》《国民経済学講義》。
→関連項目高田保馬利子

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世界大百科事典(旧版)内のウィクセルの言及

【貸付資金説】より

…その両者の交点において利子率が決まるというのが貸付資金説である。このような考え方に立ってJ.G.K.ウィクセルは,貸付資金の市場で定まる利子率=市場利子率が,貯蓄と投資とを等しくする利子率=自然利子率と必ずしも等しくないということに着目して,有名な〈累積過程の理論(いわゆるウィクセル的累積過程)〉を展開した。自然利子率よりも市場利子率が低いときには,その国民経済は絶えざるインフレーションに陥ってしまうというのである。…

【市場均衡】より

…その門下のJ.M.ケインズによる国民所得を主要な変数とする経済分析にも,マーシャルの概念や均衡分析の手法が多く跡をとどめている。ワルラスの後継者V.パレートは,ワルラスの基数的な効用理論をより一般的な序数的効用理論によっておきかえることに成功し,スウェーデン学派のK.ウィクセルは,ワルラスによって扱われた資本,利子,貨幣の分析を多方面に発展させた。また1940年を前後してJ.R.ヒックス,P.A.サミュエルソンは一般均衡理論の体系に比較静学の方法を導入し,同じころ,W.レオンチエフは産業間の相互依存をデータ分析が可能な形に具体化した産業連関理論(産業連関表)を開拓した。…

【スウェーデン学派】より

…19世紀末から20世紀前半にかけてのスウェーデンの経済学者たちの考え方を一括してスウェーデン学派と呼ぶことが多い。J.G.K.ウィクセルG.カッセルなどストックホルムを中心として活躍した経済学者たちの流れをくむ人々が多く,ストックホルム学派Stockholm school,あるいは北欧学派と呼ばれることもある。 ウィクセルは,ワルラスの一般均衡理論に対して,ベーム・バウェルクなどのいわゆるオーストリア学派の経済学者の考え方を取り入れて,資本主義経済における経済循環の動学的な分析を展開した。…

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