エルピーダメモリ(読み)えるぴーだめもり(その他表記)Elpida Memory, Inc.

知恵蔵 「エルピーダメモリ」の解説

エルピーダメモリ

記憶保持動作が必要な随時読み出し書き込みメモリーであるDRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリー)の開発・設計から製造・販売まで一貫して行う、国内唯一の専業メーカー。1999年設立。DRAM事業は韓国のサムスン電子、ハイニックス半導体に次ぎ、世界第3位のシェアを占めていた。2009年に改正された産活法(産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法)の適用を受け、日本政策投資銀行が300億円の増資を引き受けるなど公的資金注入や、市中銀行など含め1000億円を上回る出資を受けて再建を図ったが、資金繰り悪化から12年に経営破綻(はたん)した。
情報機器の普及に伴い、DRAMは高密度化や大容量化が容易で、かつ低コストな半導体メモリーとして急速に需要が拡大。1980年代には、製造技術に勝る日本が国際間競争で優位とされた。高度成長期の鉄鋼に代わる「産業のコメ」として、米国メーカーを駆逐して世界シェアの8割を日本メーカーが占める花形産業となった。しかし、汎用(はんよう)化が進み製造技術上の優位を失って、90年代後半には韓国などの後発企業の猛追を受ける。激しい価格競争や短い製品サイクルと価格変動に窮し、多くの日本企業は製造からの撤退を余儀なくされた。エルピーダメモリはこのような中で、99年に日立製作所日本電気のDRAM事業の整理統合により生まれた。当初の社名は「NEC日立メモリ」だが、翌年にはギリシャ語で「希望」を意味する言葉(Elpis)を元に、両社のダイナミック(Dynamic)な事業統合(Association)により設立したとの趣旨から名を「エルピーダ」とした。
設立当初からDRAM価格の下落業績低迷に苦しむ同社に、2002年に外部から招かれた坂本幸雄社長は、資金調達や生産ライン増設に強気の経営で取り組みシェアを伸ばした。国際的な価格回復もあり、03年には三菱電機のDRAM事業を譲り受け、04年には東京証券取引所市場第一部に株式上場。例年計上していた数百億円の赤字を返上し、黒字をもたらした。同氏は「再生請負人」として、大いにメディアにもてはやされた。一方、DRAM事業は投資負担が重く、世界市場の過半を独占する韓国2社と同社との競争力格差は09年の公的資金導入後も広がっていた。財務体質が改善しないまま、半導体市況の低迷や円高に見舞われ、同社の業績は悪化の一途をたどる。韓国2社に対抗して、業界4位の米国マイクロン・テクノロジー社や5位の台湾の南亜科技との資本・業務提携の模索は難航し、産活法の延長適用が見送られた。このため、自主再建の道は閉ざされ、12年2月には会社更生法の適用を申請した。負債は約4500億円で、製造業の倒産では過去最大という。利益の出にくくなった事業を水平統合して集約する動きは液晶パネル業界などでも見られる。しかし、そのような再編や、公的資金を注入する手法は見直しを迫られている。

(金谷俊秀  ライター / 2012年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

日本の企業がわかる事典2014-2015 「エルピーダメモリ」の解説

エルピーダメモリ

正式社名「エルピーダメモリ株式会社」。英文社名「Elpida Memory, Inc.」。電気機器製造業。平成11年(1999)「NEC日立メモリ株式会社」設立。同12年(2000)現在の社名に変更。本社は東京都中央区八重洲。電子部品メーカー。DRAM生産の世界的企業。パソコン・デジタル家電・携帯端末機向けなど。東京証券取引所第1部・台湾証券取引所旧上場。平成24年(2012)会社更生法手続開始申請にともない上場廃止。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

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