オデーサ(英語表記)Odesa

デジタル大辞泉 「オデーサ」の意味・読み・例文・類語

オデーサ(Odesa/Одеса)

ウクライナ南部、オデーサ州港湾都市。同州の州都黒海北岸にあり、貿易港として発展機械・造船などの工業が盛ん。1905年、戦艦ポチョムキン反乱の舞台となった。2023年、一部地域が「オデーサ歴史地区」の名称世界遺産文化遺産)に登録されるとともに、危機遺産にも登録された。人口、行政区99万(2008)。オデサ。ロシア語名オデッサ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オデーサ」の意味・わかりやすい解説

オデーサ
Odesa

ウクライナ南部,オデーサ州の州都。オデッサ Odessaとも呼称する。黒海北西岸,ドニステル川ドネストル川)河口の北東約 31km,首都キーウの南約 443kmに位置する港湾都市。
古代にはすでに集落が存在していたが,14世紀にタタール人がハジベイ Khadzhibeyと呼ばれる要塞を築いたのが近代都市としての歴史の始まりである。その後,リトアニア=ポーランド領となり,1480年にトルコの手に渡った。1789年にロシア軍の攻撃を受け,1792年にロシアに割譲された。1792~93年,新たな要塞が建設され,1794年には海軍基地埠頭がつくられた。1795年,この地の近くにあったとされる古代ギリシアの植民市(アポイキア),オデッソス Odessosにちなんで改名された。19世紀,特に 1866年に鉄道が開通すると急速に発展し,ウクライナ産穀物の輸出港として繁栄,サンクトペテルブルグに次ぐロシア第二の港となった。1905年にはロシア革命の中心地の一つとなり,ポチョムキン号の反乱の舞台となった。なお,セルゲイ・エイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』(1925)もここで制作された。第2次世界大戦中はドイツ軍およびルーマニア軍に長期間にわたって攻囲され,甚大な被害を受けた。
オデーサは現在,設備の整ったドックや船舶修理場をもつウクライナ最大の港であり,また主要な漁業基地,海軍基地でもある。1957年にはオデーサの南約 20kmのイリイチェフスクコルノモルスク)に外港が建設された。陸上交通の要地でもあり,ウクライナ各地のほか,モルドバ,ルーマニアとも鉄道,道路で結ばれている。工業も発展し,工作機械,クレーン耕耘機,肥料や塗料,染料などが製造されている。また,石油精製,ジュート加工,食品加工も盛んである。多くの工場は港の北方の臨海部に立地しているが,新設の工場は西の郊外にある。21世紀初頭には情報技術 IT部門で活況を呈し,地元のスタートアップ企業が海外投資家の目をひいた。また,オデーサの高学歴の労働力に技術開発を委託する欧米企業もあった。
オデーサは文化,教育の中心地であり,市内には 1865年創立のオデーサ大学をはじめ,商船大学,海軍大学などの高等教育機関がある。最も有名なのは,フィラトフ眼病・組織療法研究所である。数多くの博物館美術館や劇場があり,1809年に建てられたオペラ・バレエ劇場一帯は 2023年,「オデーサ歴史地区」として世界遺産の文化遺産に登録された。港の南方沿岸部には保養所行楽地がある。人口 101万5826(2021推計)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オデーサ」の意味・わかりやすい解説

オデーサ
おでーさ
Одеса/Odesa

ウクライナ南部、オデーサ州の州都。ロシア語ではオデッサ。旧ソ連地域でも屈指の港湾都市。人口102万9000(2001)、99万3831(2018推計)。黒海北岸のオデーサ湾に面し、ジョージアのバトゥーミ、ルーマニアのコンスタンツァ、トルコのイスタンブールなどへの定期航路をもつ。鉄道によりリビウ、ハルキウ、イズマイルなどとも結ばれる。大きな工業都市で、自動工作機械、ケーブル、トラクター部品、造船、冷凍機、大型クレーン、映写機、化学肥料、農産物および食品加工(茶、食肉など)、その他の工場がある。大学、商船学校ほか各種の研究教育機関が置かれているが、角膜移植で有名なフィラトフ眼科医学研究所もその一つである。郊外には天文台、映画撮影所のほか、海水浴場、鉱泉があり、保養地ともなっている。エイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』で有名な「ポチョムキンの階段」が、市の中心街プリモルスキー大通りから港へ通じている。

[渡辺一夫]

歴史

古くはタタール人の集落カチベイとして、またその崩壊後、トルコ人の集落ハジベイとして知られた。トルコとの戦争の結果、1791年にロシア領となった。古代ギリシアの植民地オデッソスOdessosがあった場所と推定されて、1795年にオデッサと改称。資本主義の発展に伴い、19世紀末までにサンクト・ペテルブルグに次ぐロシア第二の商港、人口では第四の大都市に成長した。とくに小麦の輸出で重要な役割を演じた。文化面でも、1865年に大学が設立され、ロシア人、ユダヤ人、ギリシア人などの民族的接触のなかから独自のものが生まれた。革命運動の舞台でもあり、とくに1905年のロシア革命(第一次)における戦艦ポチョムキン号の反乱で有名である。さらに、1917年の革命後の内戦(対ソ干渉戦争)期にはドイツ・オーストリア軍、イギリス・フランス軍、デニキン白衛軍に相次いで占領された。また第二次世界大戦期には73日間にわたるオデッサ防衛戦の舞台となり、「英雄都市」の称号を受けた。

[原 暉之]

 2023年1月、歴史地区が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産(文化遺産)に登録、また同時に危機遺産にも登録された。

[編集部 2023年5月18日]

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