改訂新版 世界大百科事典 「カルデア人」の意味・わかりやすい解説
カルデア人 (カルデアじん)
Chaldeans
もともとバビロニア南部の沼沢地帯に住んでいたセム系民族。アラム人の一派と考える説もあるが定説とはなっていない。カルデア人社会は,各部族の先祖の名を冠して〈何某の家〉と呼ばれる五つの部族から成り立っていた。彼らが史料に初めて現れるのはアッシリア王アッシュールナシルパル2世(在位,前883-前859)の時であるが,その後は歴代のアッシリア王の年代記などに登場する。カルデア人でバビロンの王座につくのはヤキン族出身のマルドゥク・アプラ・ウスルが最初と思われるが,前8世紀後半アッシリアに抵抗して2度もバビロン王となったメロダクバラダン2世(マルドゥク・アプラ・イッディナ)は特に有名である。カルデア人は軍事的には強くなかったが,ナツメヤシの生産やペルシア湾貿易のおかげで経済的には豊かであった。宿敵であったアッシリア帝国が滅びた後,カルデア人ナボポラッサルによって新バビロニア王国(カルデア王朝)が建てられ(前625),ネブカドネザル2世の治世に最も繁栄し,当時のバビロンは世界の七不思議の一つに数えられた。イスラエルの民のバビロン捕囚もこの王の治世中のことであった。なお,後世ギリシア人の間で〈カルデア人〉の呼称が占星術師の代名詞のようになるが,これは前400年ころまでにバビロニア(ギリシア人はカルデアとも呼んだ)において,誕生時の太陽,月,惑星などの位置に基づき人の運勢を判断する新しい占星術が成立し,これが後のヘレニズム世界に絶大な影響を与えたことによるものと思われる。
→新バビロニア
執筆者:中田 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報