カルマル連合(読み)かるまるれんごう(英語表記)Kalmarunionen デンマーク語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルマル連合」の意味・わかりやすい解説

カルマル連合
かるまるれんごう
Kalmarunionen デンマーク語

14世紀末に成立したデンマークスウェーデンノルウェー3国の同君連合。デンマークの事実上の支配者で大叔母にあたるマルグレーテ養子となったエリック(エーリク7世Erik Ⅶ、1382ころ―1459、デンマーク王(在位1396~1439)、ノルウェー王(エーリク3世、在位1389~1442)、スウェーデン王(エーリク13世、在位1396~1439))が、1389年ノルウェー王に、1396年デンマークとスウェーデン両王に推戴(すいたい)されたことが連合成立の前提である。同年スウェーデン南部の港都カルマル船舶ハンザ同盟の艦隊に拿捕(だほ)され、乗組員が殺害される事件を直接の契機として、翌1397年夏マルグレーテの招集になる北欧三国貴族会議がカルマルで開催され、エリックを君主とする国家連合の設立が決議された。会議では各国の主体性の尊重も唱えられたことから、デンマークを連合の覇者とみなすマルグレーテと、これに抵抗する貴族、スウェーデンとの対立は、エリックの後継者選出をめぐる思惑も絡み、連合成立当初から表面化した。連合は1448年実質的には終わりを告げるが1523年グスタフ・バーサ(グスタフ1世)がスウェーデン王となったので、名目上も解体した。

[牧野正憲 2022年7月21日]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カルマル連合」の解説

カルマル連合(カルマルれんごう)
Kalmar

1397年スウェーデンのカルマル市で結成された北欧三国の連合。三国の王家はそれ以前にも複雑密接な姻戚関係にあったが,当時デンマーク,ノルウェーに実権をふるったマルグレーテ女王は,スウェーデン王を廃して三国の同君連合を結成し,姉の孫エーリク・ア・ポンメルンを王とし,みずからは摂政として事実上の支配権を握った。連合は1523年スウェーデンが分離するまで存続した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報