カルル・フリードリヒ(英語表記)Karl Friedrich, Markgraf von Baden

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルル・フリードリヒ」の意味・わかりやすい解説

カルル・フリードリヒ
Karl Friedrich, Markgraf von Baden

[生]1728.11.23. カルルスルーエ
[没]1811.6.20. カルルスルーエ
バーデン辺境伯 (在位 1746~1811) 。ドイツの啓蒙絶対君主の一人。 1746年の即位前に,スイス,フランス,オランダなどに遊学して啓蒙思想に強く影響された。とりわけ経済・社会政策のうえで重農主義の理論を実践しようと努めたことで知られる。ドイツの重農主義理論家 J.シュレットワインを財政顧問に招いたほか,ミラボー侯,デュポン・ド・ヌムールという著名な重農主義者と盛んに文通して教えを仰ぎ,地租単一税制の施行と大農経営の育成を試みた。著書にミラボーの理論を祖述した『経済学原理概要』 Abrégé des principes de L'économie politique (1773) がある。

カルル・フリードリヒ
Karl Friedrich von Holstein-Gottrop

[生]1700
[没]1739
ホルシュタイン=ゴットロプ公。スウェーデンの反フレデリック王派 (ホルシュタイン党,別名ハット党) の中心人物 (→キャップ党・ハット党 ) 。カルル 12世の姉の子。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android