改訂新版 世界大百科事典 「ガポン」の意味・わかりやすい解説
ガポン
Georgii Apollonovich Gapon
生没年:1870-1906
ロシアの聖職者。血の日曜日事件の指導者。ポルタワ県の農民の子。神学校在学中トルストイ主義の感化をうけ,1898年首都ペテルブルグの神学大学入学後,労働者街の伝道などに参加。やがて警察のコントロールする合法的労働運動を提唱するモスクワの保安部長官ズバートフと交わり,1903年労働者喫茶クラブを組織し,それをもとに04年当局の許可を得て〈ペテルブルグ市ロシア人工場労働者の集い(通称ガポン組合)〉を設立した。同年末組合員解雇事件を契機にかねて抱いていた考えの実行を決意し,05年1月22日(ロシア暦では9日)の皇帝請願行進(血の日曜日事件)を指導した。当日ナルワ支部の行進の先頭で発砲を受けたが,生きのびて亡命した。政府が言論・集会・結社の自由と選挙権の拡張などを公約した十月宣言後帰国し,権力と協調的立場をとったため,当局との内通を疑われ,協力者であったエス・エル党員に殺害された。挑発者というかつての評価は今日では否定されている。
執筆者:和田 あき子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報