改訂新版 世界大百科事典 「キュウリ」の意味・わかりやすい解説
キュウリ (胡瓜)
cucumber
Cucumis sativus L.
ウリ科のつる性一年草。キュウリは〈黄瓜〉の意で,成熟したときの色にちなみ,〈胡瓜〉はその来歴を示す。インドのヒマラヤ山系地帯の原産で,今では世界中の温暖地で栽培される。日本へは10世紀より前に中国から伝えられたが,19世紀に至るまで普及しなかった。明治になってガラスや油障子のフレームが利用され,しだいに各地に栽培が広まった。第2次世界大戦後はビニルハウスの利用も加わって周年栽培が成立した。茎は草全体が短い粗毛におおわれている。葉柄の基部(葉腋(ようえき))から腋芽や雌雄の花,巻きひげを生ずる。果実は成熟すると黄色か黄褐色,長さ60~90cmになる。果皮の表面に白色か黒色のとげ(〈いぼ〉ともいう)がある。
品種
日本のキュウリは東南アジアから中国に入った華南型とシルクロードを通って中国に入った華北型とを導入して育成したものである。古く導入されたものは華南型で,栽培時期や目的によって自然淘汰,育成され,半白(はんじろ)や地這(じばい),青節成(あおふしなり)などの品種に分化し,さらに分系がはかられ,多数の品種が生まれた。明治以降導入した支那三尺,北京(ペキン),立秋,四葉(スーヨー)などは華北型で,これらをもとに夏から秋にかけて栽培する品種の育成が行われた。その後,華北型と華南型の交雑によって多数の品種が育成されている。最近の品種は華北型の血を引いた品種が多く,すべて一代雑種である。
栽培
キュウリは温暖な気候を好み,低温には敏感な作物である。根が浅いため,乾燥には弱い。播種(はしゆ)後30~35日で定植し,定植後の生長は早く,35日前後で収穫が始まる。おもな病気と害虫にはウイルス病,べと病,うどんこ病,つる割れ病,アブラムシ,ネコブセンチュウなどがある。対策としては連作を避けることが第1であるが,そのほかに薬剤の散布や耐病性台木(カボチャ)の利用があげられる。日本での主産地は,群馬・埼玉・福島・宮崎県などである。
成分,利用
果実の苦味物質はククルビタシンC(C32H50O7)で,低温や水分不足,窒素過多などのとき生成することがある。その程度は品種によって異なり,最近の実用品種はほとんど生成しない。キュウリは若干のビタミンAとCを含むが,栄養・保健上はあまり重要視されない。しかし未熟の間は遊離アミノ酸が多く,独特のうまみがあり,古くから各種の漬物,酢の物に利用された。近年は食生活の洋風化,合理化から,生食,サラダ,サンドイッチ,河童巻,ピクルスそのほか煮込みにも利用される。
執筆者:金目 武男
食用
キュウリが日本へ伝えられた時期は不明だが,奈良時代に食用にされていたことは,平城宮跡から種子が出土していることや,《正倉院文書》中にそれらしいウリが見られることで立証されている。〈胡瓜〉のほかに,〈木瓜〉〈黄瓜〉などとも書かれたが,長い間完熟して黄色になったものを食べていた様子は《新猿楽記》にもうかがわれ,またL.フロイスはヨーロッパでは未熟のキュウリを食べるのに対して,日本人は黄色に熟したものを食べると,奇異の思いを書き留めている。《料理物語》(1643)はなます,香の物などに適するといい,《和漢三才図会》(1712)も酢であえたり,なますに加えて美味であり,シロウリに勝るといっている。徳川光圀が,このウリは穢(けがれ)が多いもので食べて神仏へ参詣してはいけない,毒が多くて能が少ないから植えてもいけない,食べてもいけないといったと《桃源遺事》(1701)は記し,また,京都の祇園(ぎおん)社(現,八坂神社)では社地にキュウリを入れることを忌む風習があった。
執筆者:鈴木 晋一
民俗
ウリ類は古来水神と縁の深いものとされてきたが,キュウリも水神やその妖怪化した河童の好むものとされている。本格的な夏を前にした6月には,災難や疫病よけのために,みそぎや祓(はらい)の儀礼がよく行われるが,キュウリの初物を天王(祇園の神)に供えて川に流す風が広く見られる。また高知県には,キュウリに自分の干支(えと)を書いて川に流す行事がある。いずれも,穢や邪悪をキュウリに託して流してしまおうという考えに基づくものといえる。盆には,キュウリで精霊馬を作り,盆の後に川に流す所もある。キュウリには禁忌や俗信が多く,キュウリを輪切りにすると祇園の紋に似るとか,素戔嗚(すさのお)命がキュウリのとげで片目を突いたという理由で,キュウリを食べたり栽培したりしないところがある。また旧暦6月15日の祇園祭を過ぎると食べないとか,この日だけは食べない,あるいはこの日を過ぎるまでは食べないことにしているという所もある。
執筆者:飯島 吉晴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報