クラウディウス1世
クラウディウスいっせい
Claudius I; Tiberius Claudius Nero Germanicus
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クラウディウス[1世]
Claudius Ⅰ, Tiberius Claudius Nero Germanicus
生没年:前10-後54
ローマ皇帝。在位41-54年。ドルススとアントニアの間に生まれ,若い頃は兄ゲルマニクスの陰に隠れて目だたなかった。病弱であったことから,公的活動の舞台に出てくることはほとんどなかったが,カリグラ帝の暗殺後,親衛隊に推されて帝位に就く。軍事・司法問題への関心や解放奴隷の重用のために元老院で不評であった。優れた行政手腕を見せたにもかかわらず学究肌で扱いにくい性格が元老院での不評に反映されている。また,ブリタニア,マウレタニア,トラキア等の征服によって属州地の拡大を実現した。生涯に4人の妻をめとったが,なかでも,メッサリナは姦通したばかりか間男と公然と結婚したかどで処刑され,ネロの母小アグリッピナは夫クラウディウスを毒殺したと伝えられる。
執筆者:本村 凌二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
クラウディウス1世(クラウディウスいっせい)
Tiberius Claudius Nero Germanicus
前10~後54(在位41~54)
ローマ皇帝。一生を病身で過ごしたが,常識の豊かな政治家で,特に対外関係の面で幾多の成功を収め,ブリタニアを属州とした。しかし宮廷では暗いできごとが多かった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内のクラウディウス1世の言及
【アグリッピナ[小]】より
…アントニウスの孫アヘノバルブスと結婚し,[ネロ]を生む。兄カリグラ帝の治世中一時追放されたが,彼が殺され叔父クラウディウスが即位すると,彼と結婚して権勢をふるい,54年ネロを帝位につけるため夫を毒殺したと言われる。その後も権力をふるおうとして息子と対立,59年ネロの命令を受けた解放奴隷により,ナポリ近郊で暗殺された。…
【イギリス】より
…ただ信仰の自由は,現在日本やアメリカの憲法が保障しているような積極的な権利ではなく,国教会の定める信仰以外の信仰を告白する自由でしかなく,そのため19世紀まで,国教忌避者の市民的諸権利は大幅に制限されてきた。 イギリスは後43年にクラウディウスによって征服され,ローマ帝国の版図に組み込まれるが,ケルト系の先住民は[ドルイド]教を奉じていたと思われる。キリスト教はおそらくローマの軍人か商人によってイギリスにもたらされた。…
【メッサリナ】より
…ローマの[クラウディウス]世の3番目の妃。アウグストゥスの姉オクタウィアの曾孫女に当たり,15歳くらいで,彼女の母ドミティア・レピダの又従兄に当たる48歳のクラウディウスと結婚,クラウディウスが帝位についた41年には,娘オクタウィアに次いで,息子ブリタニクスを産んだ。…
【ローマ】より
…属州統治においてはとくに西部では旧来の都市同盟(コイノン)を属州会議(コンキリウム・プロウィンキアエconcilium provinciae)として利用し,皇帝礼拝を許可して帝国の統一を図った。 続く皇帝ティベリウス(在位,後14‐37),カリグラ(在位37‐41),クラウディウス1世(在位41‐54),ネロ(在位54‐68)は,アウグストゥスのユリウス家と,妻リウィアのクラウディウス家の枠内で帝位が移ったので[ユリウス=クラウディウス朝]と呼ばれる。ティベリウスは元老院との協調性において欠けるところがあり,親衛隊長セイアヌスの専断のゆえもあって,政治的密告と恐怖政治が続いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」