クリミア半島(読み)クリミアはんとう(英語表記)Krymskii poluostrov

精選版 日本国語大辞典 「クリミア半島」の意味・読み・例文・類語

クリミア‐はんとう ‥ハンタウ【クリミア半島】

ウクライナ南部、黒海とアゾフ海との間に突出する半島。古代名タウリカ。南部は観光保養地が多く、北部は草原地帯で農業が行なわれる。前五世紀にはギリシア植民都市が置かれ、一三世紀以降、キプチャク汗国クリム汗国・オスマン‐トルコ帝国などが支配。一八五三~五六年にはクリミア戦争の戦場となった。ロシアに属していたが、ソ連時代の一九五四年、ウクライナに帰属替えになった。クリム半島

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「クリミア半島」の意味・読み・例文・類語

クリミア‐はんとう〔‐ハンタウ〕【クリミア半島】

クリム

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「クリミア半島」の意味・わかりやすい解説

クリミア半島 (クリミアはんとう)
Krymskii poluostrov

ウクライナ南部,黒海の北岸から南に突出した大きな半島。クリム半島とも呼び,面積2万5500km2。そのほぼ全域がウクライナのクリミア自治共和国に属する。北端は幅わずかに8kmのペレコプ地峡によってつながり,ここを道路と南ウクライナ~北クリミア運河が通じている。東岸はアゾフ海に面し,砂嘴と潟湖が発達する。また南岸に沿ってはクリミア山地が高まる(最高点はロマン・コシの1545m)。この山脈の北斜面は緩傾斜で東西方向に軸をもつケスタ地形となり,南斜面は急傾斜で海岸に落ち,狭い平野部にはさらにアユダク(餅盤。上部を覆う堆積岩が削剝されて失われたため,ドーム状の火山体が露出したもの),カラダクなどの火山体も見られる。全般にステップ性の乾燥した地方で,月平均気温は平野部では1月1~2℃,7月24℃,南岸部ではそれぞれ4℃,24℃,年間降水量は西部で1200mm,東部で500mm,北部低地で300mm。山地では山麓の地中海性気候の植生から高山性草原まで,植物の垂直変化が明瞭に見られる。低地部では小麦,ヒマワリ,ブドウなどが栽培される。南岸は1900年ごろから保養地,転地療養地として開発されはじめた。現在では企業や軍の保養所・宿泊所のほか,ピオネールキャンプ,林間学校等の施設も多く建設され,国外からも多数の訪問者が来る。主要都市はセバストポリ(軍港),シンフェロポリ(クリミア自治共和国の首都。空港,大学がある),ケルチなど。保養地はヤルタ,ミスホル,グルズフ,アルチョムなどが知られる。
執筆者:

クリミアの古い呼名は古代ギリシア人の命名によるタウリカTaurikaであり,クリミア(要塞の意)といわれるようになったのは,13世紀のモンゴルによる支配が始まって以後のことである。前8~前7世紀ころ,キンメリア人を追いはらってスキタイ人が移住してきたが,つづいてギリシア人の植民都市建設がすすみ,半島東部のパンティカパイオンPantikapaionを中心にボスポロス王国が生まれた。半島西部にも植民市ケルソネソスChersonēsosができ,のち独立の都市国家となった。前3~前2世紀にスキタイ人の国家中心がドニエプル沿岸からクリミアに移り,ケルソネソスと抗争したため,黒海南西部のポントス王の勢力介入をまねいた。前1世紀末,沿岸要地はローマ人の占領するところとなり,のちローマ帝国の衰微とともに異民族の侵入が盛んとなった。3世紀末から11世紀にかけ,ゴート,フン,アバール,ハザル,ペチェネグ,コマン(ポロベツ)などの遊牧民の活動がはげしく,この間,4世紀末にはローマ帝国の保護下に余命を保っていたボスポロス王国も消滅した。10~12世紀のキエフ・ロシアとの関係も13世紀のモンゴルの侵入征服によって断絶し,クリミアはキプチャク・ハーン国の一ウルス(所領)に変わってしまった。15世紀前半になると,独立してクリム・ハーン国をつくったが,オスマン・トルコの興起とともにその保護国となり,13世紀から半島南岸に進出していたジェノバ人の商館も消滅した。トルコは,スラブ人との闘争にクリミア・タタールを利用したが,ロシアもまたピョートル大帝のアゾフ奪取(1696)を経て第1次露土戦争(1768-74)の末に,キュチュク・カイナルジャ条約でトルコの宗主権を奪い,1783年にはここを完全なロシア領とした。同年建設をみたセバストポリは,のちにクリミア戦争の主戦場となった。第1次,第2次世界大戦中ドイツ軍が一時占領した。この間1921年にクリミア・タタール人を中心とするクリミア自治共和国がロシア共和国内に設けられていたが,44年に対独協力という偽りの嫌疑で民族まるごと強制移住させられ,共和国は州に降格された。1945年2月,観光地として有名なヤルタで英米ソの三巨頭会談が行われ,ソ連の対日参戦および戦後処理等についてのヤルタ協定が結ばれた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クリミア半島」の意味・わかりやすい解説

クリミア半島
くりみあはんとう
Крымский Полуостров/Krïmskiy Poluostrov

ウクライナ南端部、黒海に臨む半島。ロシア語名クリム半島、クリミアCrimeaは英語名。面積2万5500平方キロメートル。半島と本土とは北のペレコプ地峡により結ばれる。鉄道、道路、灌漑(かんがい)水路などが幅約8キロメートルの狭い地峡に通じ、唯一の陸路となっている。半島の東部にはケルチ半島が東に向けて延び、アゾフ海と黒海とを分けている。ケルチ半島の付け根からは砂州が北に延び、クリミア半島との間にシバシュ潟を形成する。半島北部は低平な乾燥したステップ(短草草原)地帯が広がる。川は短く夏季には涸(か)れ川となる。半島の南端は、ケスタ状のクリミア山脈が連なり、ステップ地帯から森林地帯へと移行する。山脈の最高峰はロマン・コシ山(1545メートル)で、頂上の周辺は準平原状の平地となり、牧場が多い。南麓(なんろく)は山脈が急崖(きゅうがい)となって黒海に落ち込むため平地が少ない。しかし、気候は地中海性で温暖なため、海岸に沿ってヤルタ、ミスホル、アルプカなどの観光・保養都市が連なる。半島のおもな産業は農業、鉄工業などである。ステップ地帯ではタバコ、綿花、果樹など、山麓面ではブドウ、タバコ、オレンジなどが栽培され輸出されている。このほかケルチを中心とした製鋼業や機械工業、ワインを主とした醸造や缶詰、製塩などの産業がある。

 半島とその周辺地域でウクライナのクリミア自治共和国を構成する。クリミア自治共和国は面積2万5881平方キロメートル、人口203万3700(2001)。首都はクリミア山脈の北麓に位置するシンフェロポリで、鉄道、航空路、道路が集中し、半島における交通の要(かなめ)となっている。

[村田 護]

歴史

クリミアの名称はモンゴル支配時代に始まるが、古くはギリシア人がつけたタウリカTauricaの名でよばれた。紀元前8~前7世紀ごろ、先住民キンメリア(キンメル)人を駆逐してスキタイ人が移ってきた。同じころギリシア人が半島の沿岸に進出し始め、前5世紀ごろケルチ半島を中心にボスポラス王国を建設し、また半島西部に都市国家ケルソネスを建てた。前2世紀ごろスキタイ人とボスポラス王国との抗争に黒海南岸のポントス王国が介入し、ボスポラス王国をその支配下に入れた。さらに前1世紀末にはローマ帝国が沿岸要地を支配した。紀元後3世紀から11世紀にかけてゴート、フン、ハザール、ペチェネグ、コマン(ポーロベツ)などの遊牧民が相次いで侵入した。13世紀前半に侵入、征服したモンゴル人によって、クリミアはキプチャク・ハン国の版図に入れられた。15世紀前半、キプチャク・ハン国の分裂によって、ここにクリム・ハン国が独立する(1426ころ)が、世紀後半にはオスマン・トルコ帝国の保護国となった。16、17世紀、トルコの後押しでクリム・ハン国はロシアを脅かしたが、18世紀には形勢逆転し、第一次ロシア・トルコ戦争(1768~74)を経てトルコの宗主権を離れ、ロシア領となった(1783)。19世紀には軍港セバストポリを中心としてクリミア戦争(1853~56)の舞台となった。20世紀に至り、ロシア革命によってソビエト連邦内の自治共和国となる(1921~45)が、第二次世界大戦中ドイツ軍の一時占領を経て、ウクライナのクリム州となり、1991年のソ連解体で、クリミア自治共和国となった。保養地ヤルタでは、1945年2月、第二次世界大戦における連合国側の戦争政策と戦後処理の問題を討議する、イギリス、アメリカ、ソ連の首脳会談(ヤルタ会談)が行われた。

[伊藤幸男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「クリミア半島」の意味・わかりやすい解説

クリミア半島【クリミアはんとう】

ロシア語ではクリムKrym半島。ウクライナ南部,黒海に突出の菱形(ひしがた)の半島。約2万5500km2。ペレコプ地峡で本土と連結,東部はアゾフ海に面し,ケルチ半島が延びている。北部は平原,南部は山地。気候温暖でヤルタなど海岸保養地が多い。古代にはギリシアの植民市が建設された。13世紀にモンゴルに占領され,のちトルコ・ロシア係争の地となり,1783年ロシア領。同年建設のセバストポリはクリミア戦争の主戦場となった。1921年クリミア・タタール人によってクリミア自治共和国が形成されたが,1944年対独協力を理由にスターリンによってウズベキスタンなどへ民族ごと強制移住させられ,1946年にはクリミア自治共和国は抹消された。その後1954年ロシアからウクライナに割譲,一州となった。1991年クリミアはウクライナ内の自治共和国となるがウクライナがソ連から独立すると,今度は住民の多数を占めるクリミアのロシア系住民がウクライナからの自立とロシア連邦の接近を主張。1944年に追放されたクリミア・タタール人の帰郷者増加とあいまって,ウクライナにとってクリミアの民族問題は深刻なものとなった。2014年2月ウクライナで親ロシアのヤヌコーヴィッチ政権が崩壊,親EU・米国の新政権が誕生すると,ロシアは危機感を募らせ,ロシア系住民を中心とするクリミア自治共和国のウクライナからの独立の動きを支持。同年3月クリミア自治共和国議会とセバストポリ市議会は独立宣言を採択し,住民投票で圧倒的な賛成を得て,クリミア共和国は独立した。ロシアは直ちにクリミア自治共和国とセバストポリ特別市をロシア領に編入する条約を結び,プーチン大統領は編入を宣言した。ウクライナはもとより国際連合,EU諸国,米国等はウクライナの国家主権・領土を侵害する違法行為として,独立・編入を承認していない。ロシアにとってクリミア半島とそこに含まれる港湾都市セバストポリは歴史的,地政学的,軍事的に譲れない地域だが,ウクライナ東部にはクリミア以外にもロシア系住民が多い地域が多数あり,ロシアの動向とともに軍事的緊張が一気に高まる可能性がある。クリミア自治共和国(セバストポリ市を含む)の人口2.376万人(2001)で人口の6割がロシア系である。タタール系は約1割を占める。
→関連項目IMFウクライナ問題クリミア自治共和国シンフェロポリ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クリミア半島」の意味・わかりやすい解説

クリミア半島
クリミアはんとう
Krymsky poluostrov

ウクライナの南部にある半島。ロシア語表記ではクルイム半島。1991年にクルイム自治共和国となった。面積約 2万7000km2黒海に突出し,北は狭いペレコプ地峡でウクライナ本土とつながり,東側はアゾフ海に面している。古代ギリシア時代より多くの植民市が建設され,1430年以降クリム・ハン国の領地であったが,1783年ロシアに併合された。1954年ソビエト連邦のウクライナ=ソビエト社会主義共和国に委譲されたが,ソ連崩壊後は帰属をめぐって争いが生じた。2014年クルイム自治共和国でロシアへの帰属を問う住民投票が行なわれ,賛成多数でロシアに編入されたが,国際的には承認されていない。中部,北部は乾燥したステップの平原で,穀物,果樹の栽培を中心とする農業が行なわれ,牧草地が広がる。南部は山地で,南岸に沿ってクリミア山脈が連なる。クリミア山脈は海側に険しく,山麓には美しい景観と温暖な気候で知られる狭い帯状の海岸平野が続き,ここに帝政時代以来ロシア有数の保養地として知られるヤルタのほか,アルプカ,グルズフ,アルシタ,シメイズなどの保養地がある。主要な都市は,クリミア戦争の激戦が繰り広げられた黒海艦隊の要塞軍港セバストーポリ,クリム・ハン国の首都バフチサライシンフェローポリケルチフェオドシヤエフパトリヤなど。2013年,セバストーポリ近郊にあるケルソネソス・タウリケの遺跡が「クリミア半島の古代都市とその区画農地」として世界遺産の文化遺産に登録された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「クリミア半島」の解説

クリミア半島(クリミアはんとう)
Crimea

ロシア名クルイム(Krym)。黒海に突き出た半島。現在はウクライナ共和国に属するが,18世紀末まではロシアとトルコ系諸民族との抗争地で,以後ロシア領となった。19世紀半ばのクリミア戦争の舞台。南部ではブドウ,タバコが栽培され,ヤルタなど保養地が多い。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のクリミア半島の言及

【ウクライナ】より


【自然】
 ほぼ全域が小高地や丘陵を含む平たんな地形でおおわれており,平均標高170m。例外は西の国境沿いのカルパチ山脈(最高峰はゴベルラ山で2061m)とクリミア半島のクリミア山脈(最高峰はロマン・コシ山で1545m)である。主要河川はドニエプル川(全長2200kmでヨーロッパ第3位。…

※「クリミア半島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android