出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
アメリカのテロリストの秘密組織。南北戦争後の再建期にテネシー州で組織され,急速に南部各地に拡大していった。クー・クラックスとはギリシア語のキュクロスkyklos(輪),クランはケルト語のクランclan(子孫)の転化語。KKKと略称される。敗戦南部は連邦軍の占領下におかれ,南部白人の旧指導者は政治から締め出され,南部政治は新しく投票権を与えられた旧黒人奴隷の票によって支えられた共和党に独占されていた。そのため南部白人の一般大衆は,再建政策に反対する南部民主党政治家の宣伝もあって,南部政治の現状を〈黒人による支配〉ととらえ強く反発していた。クランはこのような大衆感情にはけ口を与え〈白人による支配の復活〉を標榜し急速に勢力を拡大していった。クランは白い山型頭巾とガウンで全身を覆い,夜間ひそかに黒人や黒人支持の白人を襲撃し,リンチを加えた。だがさしもの運動も1870年代の初頭にクラン取締りのための連邦法が成立したりして,急速に下火となっていった。しかし第1次大戦後,移民排撃や反ラディカリズムの高まりといった〈反動の時代〉が始まると,クラン運動も再び息を吹き返し,1920年代,クラークEdward ClarkeやタイラーElizabeth Tylerという2人の宣伝家を得て,全国的規模の運動へと発展していく。〈アメリカ出生主義〉と〈白人およびプロテスタント優越主義〉を運動のスローガンとして,〈外国的なもの〉と〈不道徳性〉をその主要な敵とする彼らの主張は,20年代のアメリカ社会に広く受け入れられ,クラン運動は,彼らの正義のシンボルとされる〈もえる十字架〉とともに,反黒人,反ユダヤ,反〈反戦論者〉,反ボリシェビキ,反カトリック,反進化論の運動となって展開し,24年には400万を超える会員を数える全国組織となった。しかし,クラン運動の急激な成長は,その秘密主義やテロリズム,内部的腐敗を世論の批判にさらすこととなり,その後急速に衰退に向かう。しかし,50年代になると再びクラン運動の復活がみられ始めた。復活の直接の契機となったのは,54年の連邦最高裁による〈公立学校における人種分離〉に対する違憲判決(ブラウン事件判決)と,判決後南部社会を襲った一種のパニック状態であるといわれている。
執筆者:長田 豊臣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…これによって少なくとも表面的には,黒人も白人と平等の地位を得たように見えたし,事実一時は黒人人口の多い南部各州に黒人議員が現れて,黒人の政治的進出がめざましかった。しかしその反動としてクー・クラックス・クランのような団体が生まれ,黒人に対するリンチが数多く発生した。(2)差別待遇完成時代 77年に連邦軍が南部から引き揚げて,この問題についての熱意を失うと,南部人の価値観がしだいに復活する。…
…薔薇十字団は三十年戦争の混乱のなかから出現し,テンプル騎士団は十字軍の退廃に再度秩序をもたらそうとする欲求から生まれた。マウマウ団は白人宣教師や白人植民者によって伝統的生活形態を破壊されたキクユ族の苦悩から,クー・クラックス・クランは南北戦争の敗者たるアメリカ南部から,それぞれ発生する。現在ではほぼ犯罪結社化しているマフィアもまた,本来はシチリアが近代ヨーロッパの秩序に取り込まれようとした時代の孤島固有のアルカイックな習俗の崩壊過程で,楽園回帰的衝動から生み出された結社である。…
※「クークラックスクラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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