デジタル大辞泉
「グレゴリウス」の意味・読み・例文・類語
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グレゴリウス
(Gregorius) ローマ教皇の名の一つ。
[一] (一世) 第六四代ローマ教皇(在位
五九〇‐六〇四)。多難な時期に教会を統治して教皇権を確立、自ら「神のしもべのしもべ」と称する。教会聖歌を改修し、「グレゴリオ聖歌」を制定した。
主著「道徳論」「
司教規則書」「ヨブ記講解」。
大グレゴリウス。(
五四〇頃‐六〇四)
[二] (七世) 第一五八代ローマ教皇(在位
一〇七三‐八五)。教会規律を制定して、教会を世俗権力から解放。教皇権の政治的地位の確立につとめ、ドイツ皇帝ハインリヒ四世を破門した。(
一〇二〇頃‐八五)→
カノッサの屈辱。
[三] (一三世) 第二二九代ローマ教皇(在位
一五七二‐八五)。教会内部の改革につとめ、
ユリウス暦をグレゴリオ暦に改める。死の直前、日本からの天正遣欧使節を接見した。(
一五〇二‐八五)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
グレゴリウス(トゥールの)
Gregorius
生没年:540ころ-595
フランク王国の聖職者,歴史家,聖人。ガリア在住ローマ元老院議員の家柄に生まれ,573年トゥールの司教となる。メロビング王家の政争に巻き込まれながらフランク族に関する知識をえ,576年初期中世の最重要の史料である《フランク史》10巻を執筆。第1巻は天地創造から397年まで,第2~4巻は575年までの初期フランク史,第5~10巻はそれ以後591年までの彼の同時代史で,その叙述は詳細で精彩に富む。その目的はフランク人の善行悪行を教訓として,信仰を勧めることにあった。ガリア以外のできごとは報じられるところが少ない。彼にはこのほかに8編の聖人伝があり,ユリアヌス,マルティヌス以外にも多くの殉教者や聖人の奇跡を伝えている。
執筆者:今野 國雄
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グレゴリウス
Gregorius, Illuminator
[生]240頃
[没]332頃.アルメニア
アルメニアの使徒,啓蒙者のグレゴリウスといわれる。聖人。カッパドキアから故国アルメニアへ帰り,国王チリダテス3世を改宗させ,303年頃アルメニアをキリスト教国とした。
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グレゴリウス
オーストリア、エンゲルッツェル修道院で製造されるビール。修道院製造のビール(トラピストビール)のひとつ。
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世界大百科事典(旧版)内のグレゴリウスの言及
【ラテン文学】より
…世俗詩人も6世紀中葉のコリップスCorippusあたりが最後であろう。 5世紀後半から6世紀にかけてのキリスト教作家には,シンマクスの後継者といえるほどの技巧派の修辞家シドニウス・アポリナリス,キリスト教と世俗の両方のテーマを歌った詩人ドラコンティウスDracontius,古典の教養を顕示した演説家エンノディウスEnnodius,最後の詩人ウェナンティウス・フォルトゥナトゥスVenantius Fortunatus,《フランク史》の著者トゥールのグレゴリウス,教皇グレゴリウス1世などがいる。カッシオドルスは古典研究を神学研究に取り入れて,中世修道院を学問所とする道を開いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」