ゲオルギウ・デジ(読み)ゲオルギウデジ

百科事典マイペディア 「ゲオルギウ・デジ」の意味・わかりやすい解説

ゲオルギウ・デジ

ルーマニア政治家。早く労働運動に参加,1930年共産党に入党。1933年石油・鉄道ストライキ指導して捕らえられたが,1944年脱獄,反独解放闘争を指導。1945年共産党書記長,1948年社共合同後の労働者党書記長となり,その間1948年コミンフォルム会議でユーゴスラビアの独自路線を非難する報告を行う。また首相(1952年―1955年)となり,その後も党・政府最高指導者地位にあった。
→関連項目チャウシェスクルーマニア労働者党

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゲオルギウ・デジ」の解説

ゲオルギウ・デジ
Gheorghe Gheorghiu-Dej

1901~65

ルーマニアの政治家。1930年共産党入党。33年鉄道石油労働者のストライキを指導,懲役刑を言い渡されたが,34年党中央委員に選ばれ獄中から党活動を指導,45年党第一書記に就任。48年社会党と合同して結成された労働者党第一書記となった。52年国家評議会議長。当初は親ソ的だったが,党内国内派の中心的存在でモスクワ派の排除に努めた。スターリン批判ハンガリー事件動揺を乗り切り,COMECON(コメコン)内の分業体制に反対,60年以降対外的に自主路線を追求した。

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