日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
コンドル(Josiah Conder)
こんどる
Josiah Conder
(1852―1920)
イギリスの建築家で、日本の近代建築の育ての親。英語での正確な発音をカナ転記すると、コンダーに近い。ロンドン生まれ。サウスケンジントン美術学校とロンドン大学で建築を学び、1873年から1875年にかけてウィリアム・バージェスWilliam Burges(1827―1881)の建築事務所で働いた。1876年、英国王立建築家協会の設計競技で一等となり「ジョーン・ソーン賞」を受けた。同年明治政府と契約を結び、1877年(明治10)来日。工部大学校造家学科の教師として教育にあたるかたわら、工部省に属して政府関係の諸施設の設計を受け持った。工部大学校では、1879年に辰野金吾(たつのきんご)ら第1回卒業生を世に送り出して以来、のちに明治建築界の指導者となった多くの人材を1886年まで指導した。一方、工部省関係の設計としては、上野博物館(東京国立博物館旧本館)(1881)、鹿鳴館(ろくめいかん)(1883)など、話題の建築を矢つぎばやに完成させた。1888年、東京に建築事務所を開設し、それ以後死に至るまで、東京、横浜を中心に、ニコライ堂(1891)、三井倶楽部(くらぶ)(1913)など、官庁、会社、大使館、ホテル、倶楽部、住宅など手広く数多く設計した。
1893年、前波くめ(1856―1920)と結婚。河鍋暁斎(かわなべきょうさい)に日本画を習い、同時に日本芸術全般への強い関心をもち、美術、建築、庭園、いけ花などに関する著作を残した。1920年(大正9)妻くめの死後まもなく、後を追うように東京で病没した。
[長谷川堯 2018年8月21日]