デジタル大辞泉 「コンドル」の意味・読み・例文・類語
コンドル(condor)
2 タカ目コンドル科の鳥の総称。カリフォルニアコンドル・クロコンドルなど6種が北アメリカ南部から南アメリカに分布。小形のヒメコンドルは鶏大。はげたか。
翻訳|condor
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
タカ目コンドル科Cathartidaeの鳥の総称,またはそのうちの1種を指す。この科の鳥は,南北アメリカの特産で,大型の腐肉食性の猛禽(もうきん)である。形態と生態は,旧世界に分布するハゲワシ類に似ているが,ハゲワシはタカ科に属し,コンドルとは科が異なる。ただし,英語ではカリフォルニアコンドルとコンドルの2種のみをcondorと呼び,他の5種とハゲワシ類をともにvultureと呼ぶ。日本ではcondor,vultureをともにハゲタカと訳すことがあるが,ハゲタカは鳥学上の用語ではない。
コンドル科には5属7種があり,いずれも体は大きく,いちばん小さなクロコンドルでも全長55cm,翼の開張が140cmある。最大のコンドルとカリフォルニアコンドルは全長130cm,開張300cmに達し,タカ目の中では最大。ほかのタカ目の鳥は,雄よりも雌のほうが大きいが,コンドル類は雄のほうが大きい。羽色はトキイロコンドルの体が白いほかは,黒色または黒褐色で,頭部は皮膚が裸出し,種によって赤色,黒色,オレンジ色,青色などで彩られている。トキイロコンドルがメキシコから南アメリカの熱帯雨林に生息するほかは,すべて開けた環境を好み,大きな翼を広げて上昇気流にのり,動物の死体をおもに視覚でさがす。しかし,南北アメリカに広く分布するヒメコンドルは,腐肉をさがすのに嗅覚(きゆうかく)も利用するらしい。最近では,自動車にはねられた動物が彼らのよい餌となっている。大型のコンドルはヒツジやシカなどの幼獣を襲うことがあり,ペルー沿岸では各種のコンドルがグアノを産出する海鳥の卵や雛を食べる。また,よく熟した果実や野菜類を食べることがある。コンドルVultur gryphusは,全身黒色で,襟と翼の一部だけ白い。頭部は肉色で,雄には同色のとさかがある。南アメリカのアンデス山脈の全域に分布し,山頂から太平洋沿岸まで飛ぶ。絶壁の岩棚や洞窟で,1年おきまたは2年おきに,1羽の雛を育てる。産卵期は9~10月。雛は飛べるまでに6ヵ月を要し,さらに半年は両親に養われる。
カリフォルニアコンドルGymnogyps californianusは,かつては北アメリカに広く分布していたが,しだいに減少して西部山岳地帯に追いつめられ,現在では約40羽がカリフォルニアの二つの特別保護地区に生存しているにすぎない。国際保護鳥の一つ。
→ハゲワシ
執筆者:竹下 信雄
中央アンデスにおいて,コンドルは古くから宗教の中で重要な役割を担ってきた。コンドルは,オウギワシ(ハーピ・イーグル)などとともに前1000年ころのチャビン文化,500年ころのティアワナコ文化などでは盛んに石彫や土器の模様の中に表現される。今日のアンデス高地ではコンドル・ラチの祭りを行う村がある。コンドルをとらえ,雄牛の背にしばりつけて雄牛と闘わせる。あるいはコンドルをつり下げてこれを殴殺する。また,コンドルは天と地の仲介者という一面ももつ。
執筆者:大貫 良夫
日本人建築家を養成し,日本に西洋建築を実現するために来日したイギリス人建築家。名前は本来はコンダーと発音する。生地ロンドンにおいて,ビクトリア朝ゴシックの建築家バージェスWilliam Burges(1827-81)の事務所等で修業し,1876年にイギリス王立建築家協会(RIBA)主催のソーン賞設計競技に入賞して一流の才能を示した。翌年(明治10)工部大学校造家学教師として来日,辰野金吾,片山東熊,曾禰達蔵ら多くの建築家を育て,日本の近代洋風建築の基礎を作った。教育のかたわら自ら政府関係の建物の設計を行うが,建築を日本人の手で行おうとする趨勢の中で1888年(明治21)官を辞し,東京に設計事務所を開く。後半生は御雇外国人の立場を抜け出し,有能な民間建築家として三菱関係の仕事を中心として,資本家たちの邸宅を数多く手がけた。ゴシックの意匠を得意としたが,後には古典主義様式に作風を移行させた。国会議事堂計画,皇居造営,官庁街の計画等,明治初頭の重要な建築計画に対しても意欲を燃やしたが,結局のところ日本人側の企画のために,いずれも採用されることなく終わった。民間の邸宅建築家としての作品は,建物の外観,内部ともに本格的な様式で統一され,高い水準を示している。代表作は工部大学校在職中の上野博物館(1881。震災で現存せず),鹿鳴館(1883),事務所開設後の三菱1号館(1894),三井俱楽部(1913)等。全作品を日本に作り,日本に没したこの建築家は,歌舞伎を好み,河鍋暁斎に師事して日本画を学ぶ日本芸術愛好家であった。
執筆者:鈴木 博之
ハワード・ホークスが1939年に製作,監督した航空映画の古典的名作。トーキー誕生後,音の魅力とともに航空撮影や特殊技術の進歩によって,空中戦映画や航空映画は流行のジャンルの一つとなったが,これはホークス自身の見聞と体験をもとにしたもので,南アメリカのアンデス山中の小空港を舞台に郵便飛行士たちの命がけの任務と冒険を描く。濃霧の中の飛行,不意に機内にとび込んでくるコンドル……,ホークス好みの危険に生きる男たちのアクションと友情のドラマである。夜の酒場でジーン・アーサーがピアノを弾き,ケーリー・グラントが歌う《ピーナッツ売り》のシーンは,その後のホークス映画(《リオ・ブラボー》1959,《ハタリ!》1962)の歌と笑いの宴のシーンの原型になっている。ハリウッド時代のウィリアム・フォークナーが脚本に協力し,また,リチャード・バーセルメスの妻の役で出演した当時まだ無名のリタ・ヘイワースが,スターにのし上がるきっかけとなった作品でもある。
執筆者:柏倉 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(河東義之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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1852.9.28~1920.6.21
イギリス人建築家。英語読みはコンダー。工部大学校造家学教師として1877年(明治10)1月来日。辰野金吾・片山東熊(とうくま)らを育て,日本近代建築の父と称される。上野博物館・鹿鳴館などを設計。解雇後も日本に留まり,邸宅を中心に数多くの作品を遺す。東京のニコライ堂(重文)・岩崎久弥邸(重文)・島津邸・古河邸,桑名の諸戸邸(重文)などが現存。河鍋暁斎(きょうさい)や日本の庭園・衣装に関する著作があり,日本文化の紹介者としても名高い。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…第1に御雇外国人を招いて主要な建築の設計を委嘱したことである。大きな足跡を残した人物として,造幣寮(1871,大阪)などを造ったウォートルス,工部大学校本館(1887,東京)などを設計したボアンビルC.de Boinville,陸軍参謀本部(1881以降,東京)などの設計者カペレッティ,それにコンドル,エンデHermann Ende,ベックマンWilhelm Böckmannらがいる。なかでもコンドルは来日後死去するまでの間ほとんど日本に滞在し,設計ならびに後進の指導などを通じて最も日本に貢献したといえる。…
…また,1872年の銀座から築地にかけての大火は,この建物の西欧化に加え,建物の不燃化を促進する契機となった。イギリスのT.J.ウォートルスやJ.コンドルらを中心とする建築技術者は,銀座や丸の内,さらには浅草に,赤煉瓦でつくられた洋風建築の町並みを建設していった。これらの2~3階建ての煉瓦造建築は91年におきた濃尾地震によりその耐震性が問題とされ,帯鉄や鉄筋によって補強されながらも大正の初期まで建設されていった。…
…明治政府が外国人技師を招いて官庁建築の建設を始めてから,本格的な西洋建築が伝えられた。外人建築家はJ.コンドル(ニコライ堂,鹿鳴館),ウォートルス(大阪造幣寮)らで,その設計した建築は当時のヨーロッパ建築界の情勢を反映し,ルネサンス様式を主体とする折衷主義的なものである。コンドルは工部大学校の講師として多くの日本人建築家を養成し,1890年ころからは日本人建築家による大建築ができるようになった。…
※「コンドル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
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