アメリカ製自動車の大きさを表す呼び方で、小型車、またはインターミディエートカーintermediate carより小さく、サブコンパクトカーsub-compact carより大きい車。ことばの意味は小型自動車であるが、ヨーロッパや日本の小型車をコンパクトカーとはいわない。アメリカの乗用車は、国土の広さと資源の豊かさ、それに国民の体格の大きさなどを反映して、きわめて大型で、しかも時間の経過にしたがって大型化する傾向をたどってきた。その反省にたって、経済性を追求する小型車が古くからしばしばつくられてきたが、とくにその必要がなかったために、アメリカの大衆の支持を得ることはできなかった。
初めて「コンパクトカー」を名のったのは、1950年にナッシュ・ケルビネイター社(後のアメリカンモータース、1987年クライスラーに吸収合併)が発表したナッシュ・ランブラー車であった。当時の普通サイズのアメリカ車が、大衆車でもホイールベース(前後車軸間寸法)110インチ(2794ミリメートル)を超えていたのに対し、ちょうど100インチ(2540ミリメートル)という小型であった。ナッシュは独立メーカーではあったが、有力だったので、大型車を恐竜dinosaurに見立てた大宣伝を展開、かなりの成功を収めたが、やはりアメリカ車の主流にはなりえなかった。
しかし、第二次世界大戦でヨーロッパに駐留した兵士が帰国に際して持ち帰った車により、アメリカでは1950年代にスポーツカーと小型車のブームが巻き起こり、とくにフォルクスワーゲンやルノーはアメリカ車の市場をさえ脅かすほどになった。看過しえなくなった当時のアメリカ三大メーカーは、60年にGMがシボレー・コルベア、フォードがファルコン、クライスラー(現ダイムラー・クライスラー)がプリムス・バリアントと、いずれもホイールベース100インチ台のコンパクトカーを発売した。さらに60年代中ごろには、コンパクトカーと普通サイズの間にインターミディエート(中間)サイズが生まれ、70年代に入るとコンパクトカーよりさらに一回り小さいサブコンパクトカーも登場、アメリカ車は高度に多様化した。しかし、依然として強い必然性がないままに、コンパクトカー自体もしだいに大型化する傾向を示した。これに完全にブレーキをかけたのは1973年末に襲ったオイル・ショックで、以後アメリカ車は急速な小型化の時代に入る。いまやコンパクトカーはかつてのサブコンパクトなみになり、インターミディエートはコンパクトより小さくなり、標準サイズはインターミディエートより小さくなってしまった。したがって、いまアメリカ車の大きさの呼び方は混乱をきわめており、新しい秩序の生まれるのを待っているところである。
かつてのコンパクトカーは巨大なアメリカ車をただ単に縮小したようなものであったが、新世代の小型アメリカ車は、ヨーロッパの小型車に学んで横置きエンジンによる前輪駆動を採用するなど、真の意味での小型化を達成しつつある。しかし小さくなればなるほど設計は困難で、1台当りの利益は小さく、採算分岐点が高くなるので、アメリカの主要メーカーはサブコンパクトは日本などからの輸入車、合弁生産車、アメリカ製日本車などでまかなおうとしている。
[高島鎮雄]
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加