コーカンド・ハン国(読み)こーかんどはんこく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コーカンド・ハン国」の意味・わかりやすい解説

コーカンド・ハン国
こーかんどはんこく

18世紀初頭ウズベクのミン氏族出身のシャー・ルフが、ブハラ・ハン国から自立してフェルガナ地方のコーカンドQoqan (Kokand)を拠点に地方政権を樹立したことに始まる。19世紀に入るとコーカンドのハンは、フェルガナ地方一円の政治的統合に成功し、さらにカザフやブハラ・ハン国と戦って北西方に領土を拡大した。コーカンド・ハン国の発展は、フェルガナ地方の豊かな農業と、東トルキスタンおよびカザフ草原、ロシアとの国際的な商業の発展とに負うところが大きい。しかし、1840年代からキプチャク遊牧民の反乱やブハラ・ハン国の侵攻のために弱体化したコーカンド・ハン国は、中央アジアの征服を進めるロシアに抵抗することができず、1876年ロシア帝国に併合された。

[小松久男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「コーカンド・ハン国」の解説

コーカンド・ハン国(コーカンド・ハンこく)

18世紀初めウズベクのミング部族が中央アジアのフェルガナ盆地に建てた政権。1740年にコーカンド市を建設,部族の領袖アーリム(1798~1810)はチンギス・カン血統には属さなかったがハンを称した。タシケントも領有して東の清朝西北のカザフやロシアとの通商で栄えたが,侵攻したロシア軍に敗北して1876年に滅亡フェルガナ盆地はロシア領となった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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