サンクム(その他表記)Sangkum Reastr Niyum

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンクム」の意味・わかりやすい解説

サンクム
Sangkum Reastr Niyum

1955年4月,カンボジアの N.シアヌーク元首が与党各派を総合する目的で結成した,人民社会主義共同体。同年9月の総選挙で人民派民主党など野党を抑えて全議席を占めて以来,70年3月のクーデターでシアヌークが追放されるまで,カンボジアは事実上同組織の独裁下にあった。その理念と目的は王室仏教社会主義にあり,王室ならびに仏教を中心とする独自の平和中立政策と社会主義政策をとってきた。しかし,本来主義思想の異なる諸団体の連合によって成立した政治組織であるだけに,内部対立,特に左派右派の対立は激しく,70年クーデターによって右派が政権を握ると,サンクムは事実上崩壊した。

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世界大百科事典(旧版)内のサンクムの言及

【カンボジア】より

…特にベトナム,ラオスからの戦火を食い止めるため,東南アジア条約機構(SEATO)への不参加表明,中国訪問(ともに1956),中立宣言法制定(1957),文書交換による中立保障の提案(1962),現国境線承認の要請(1967)など,中立政策が模索された。 一方,内政では国民の総意が反映できる新体制として,人民社会主義共同体(略称サンクム)が1955年に結成され,退位したシアヌークがその総裁に就任した。サンクムは王制,独立,仏教を基軸に王制社会主義をめざす新国民運動であった。…

【クメール・ルージュ】より

…狭義にはカンボジア共産党を指す。ベトミン系のクメール抵抗派の流れをくむ人民党は,その一部が1960年結成のサンクム(人民社会主義共同体)に参画し,サンクム左派を形成したが,サンクムを指導するシアヌークに弾圧され,67年から地下活動に入った。70年にロンノルによるクーデタでシアヌークが解任されると,直ちにシアヌークと結んでカンプチア民族統一戦線を結成し,国内闘争を展開,75年に首都プノンペンに入城した。…

【シアヌーク】より

…フランスからの独立を勝ち取るために先頭に立ち,国民から敬愛された。53年に独立した後,55年王位を父に譲位し,人民社会主義共同体(サンクム)を設立して総裁に就任,王制社会主義と中立政策を掲げ,現実直視の内政・外交で東西両陣営から援助を引き出し,国内建設に力をいれた。60年父王が死去してからは王位を空席にして国家元首に就任し,国政の牽引車的役割を果たした。…

※「サンクム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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