シュプリンガー
しゅぷりんがー
Axel Cäsar Springer
(1912―1985)
ドイツの新聞・出版経営者。ハンブルク郊外に生まれ、父の出版業を受け継ぐ。第二次世界大戦後の1945年ハンブルクで出版事業を開始、1946年、ラジオ番組を中心とする週刊誌『ヘール・ツー』を創刊して成功、1948年には大衆夕刊紙『ハンブルガー・アーベントブラット』、1952年には『ビルト・ツァイトゥンク』(のち『ビルト』)を創刊した。『ビルト』は、はでな写真と事件、性を売り物にドイツ主要都市で印刷、発行部数はヨーロッパ第一(約290万部。2010)を誇る。1953年には高級紙『ディ・ウェルト』を買収したほか、多くの新聞、雑誌を発行していたので、彼の反共イデオロギーとともに、その新聞・出版界における独占的地位がしばしば問題になった。
[春原昭彦]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
シュプリンガー
Springer, Axel
[生]1912.5.2. ハンブルク
[没]1985.9.22. 西ベルリン
ドイツのマスコミ・コンツェルンの支配者。出版業者の子に生れ,第2次世界大戦後の占領期に,『ヘール・ツー』 Hör zu (イギリスの BBCの『リスナー』をまねた放送番組雑誌) を創刊して成功 (現在の発行部数 450万部) 。 1952年に日刊新聞『ビルト』 Bildを創刊 (現部数公称 450万部) し,翌 53年にはイギリス軍の『ディ・ベルト』 Die Welt (公称 28万部) の発行を引継いだ。その後は着々と新聞,雑誌を買収し,68年の最盛期には西ドイツの新聞の約 40%を支配していた。しかしその頃から,マスコミ界での独占と右翼的言論,報道の理由でドゥチュケの率いる学生デモの攻撃目標とされたり,ブラント首相と対立して連邦政府の調査対象になったりして,5つの雑誌を手放し,70年には株式の3分の1をベルテルスマン出版社に譲渡した。
シュプリンガー
Springer, Anton
[生]1825.7.13. プラハ
[没]1891.5.31. ライプチヒ
ドイツの美術史学者。 1860年ボン大学,72年ストラスブール大学,73年以後ライプチヒ大学の教授を歴任。従来の美学的,哲学的考察方法を排し,厳格な文献学的批判と様式分析的考察を基礎とした実証主義的美術史を展開。主著『美術史便覧』 Handbuch der Kunstgeschichte (1855) ,『ラファエロとミケランジェロ』 Raffael und Michelangelo (77~79) ,『中世の芸術表現の源泉』 Über die Quellen der Kunstdarstellungen des Mittelalters (79) など。
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「シュプリンガー」の意味・わかりやすい解説
シュプリンガー
ドイツ最大の新聞・雑誌企業経営者。ハンブルクを本拠に第2次大戦後急速に事業を発展させた。シュプリンガー・グループはドイツ最大の大衆紙《ビルトツァイトゥング》,高級紙《ディー・ウェルト》など各種新聞,雑誌類を擁し,ウルシュタイン出版社を傘下にもつ。
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