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フランスのロマン主義の画家。豊かな商人の息子としてルーアンに生まれ,少年時代にパリに移って,ベルネCarle Vernet,次いでゲランGuérinのアトリエで学ぶ。少年時代よりベルサイユ宮殿の厩舎などに通って馬と親しみ,1812年のサロン(官展)で金賞を得た《武装した猟騎兵将校》においては人馬一体となったみごとな躍動感で人々を魅了する。16年から17年の秋にかけてイタリアに旅行し,ミケランジェロから深い感銘を受ける。パリに戻ってからは,文学的ロマン主義にあきたらず,同時代の事件を主題にとった《メデューズ号の筏》(1817)で,当時世間を騒がせた難破船の悲劇を描き,ドラマティックな構成と死体の写実的表現力で一躍有名になった。20年から21年にかけて2年近くイギリスで過ごし,コンスタブルやボニントンの作品の,直接的な自然表現の影響を受ける。馬の好きな彼は,《エプソムの競馬》(1821)においては,スピード感にあふれる表現とともに,近代スポーツの風俗をも描く。帰国してからは,狂人など社会の異端者の肖像画や,死体安置所での死体の断片に関心を抱き,鋭い写実的表現力を示した。しかしこれらの探究は,33歳という若さで落馬事故で死んだため,さらなる成果をあげるには至らなかった。彼の天才は,その直後の世代には深く理解されなかったものの,写実主義の誕生や,マネやドガらの競馬の主題に深くかかわっており,真に近代的な芸術の萌芽を見せていることでとりわけ意義深い。
執筆者:馬渕 明子
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フランスの画家。夭折(ようせつ)ではあったが傑出した才能を示し、とくにロマン派絵画の烽火(ほうか)となった『メデューズ号の筏(いかだ)』で名高い。ルーアンに生まれる。カルル・ベルネ、ついでゲランの画室(ここにドラクロワも学んだ)に学ぶ。ダビッド風の古典主義の規範の一方で、少年期より馬に傾けた彼の熱情は、動きへの正確な観察へと彼を駆り立て、また当時ローマのボルゲーゼ宮からもたらされた所蔵品などによって、ティツィアーノやルーベンスの描法にも多くを学んでいる。その成果は、1812年のサロンへのデビュー作『軽騎兵士官』(ルーブル美術館)となって現れ、金賞を得る。16~17年、ローマ、フィレンツェに遊学。ミケランジェロやバロック様式を学び、また他方でラファエッロをも学ぶ。帰国後は、文学的主題ではなく同時代の主題にバロック的、ロマン派的な情熱と大きさを与えることを求め、その成果が19年のサロンへの『メデューズ号の筏』出品となる。彼は同時代の現実の悲劇、対角線構図、明暗の対照、病院で数多く試みた死体の素描に裏づけられた現実性などにより、一つのエポックをつくった。20~21年ロンドンに滞在。落馬事故でパリに没した。
[中山公男]
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