仏教の開祖ゴータマ・ブッダとほぼ同時代のマハービーラ(前6~前5世紀)を祖師と仰ぎ,特にアヒンサー(生きものを傷つけぬこと。〈不殺生〉)の誓戒を遵守するなどその徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教。仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったが,その国内に深く根を下ろして,およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け,今日もなお信徒数こそわずかだが無視できない勢力を保っている。
マハービーラは,本名をバルダマーナVardhamāna(〈栄える者〉の意)という。仏典ではニガンタ・ナータプッタNigaṇṭha Nātaputtaの名でゴータマ・ブッダ時代の代表的な自由思想家たち(六師外道)の一人とされる。彼は〈ナータ族の出身者〉で,古くからの宗教上の一派ニガンタ(束縛を離れた者)派に出家して修行したのでそう呼ばれた。しかし彼は同派の教義を整備・改良してジャイナ教を確立し,以来マハービーラ(偉大な勇者)の尊称でより広く知られることとなった。
マハービーラはマガダ(現,ビハール州)のバイシャーリー市近郊のクンダ村に,クシャトリヤ(王族)の息子として生まれた。父親の名はシッダールタ,母親はトゥリシャラであったという。若くして結婚したが,30歳で出家してニガンタ派の行者となり,12年の苦行ののち真理を悟ってジナJina(勝利者)となった。ジャイナ教とは〈ジナの教え〉を意味する。以後30年間遊行しながら教えを説き広め,信者を獲得し,72歳でパータリプトラ(現,パトナ)市近郊のパーバー村で生涯を閉じた。
ジャイナ教徒によれば,すでにマハービーラ以前に23人のティールタンカラtīrthaṅkaraと呼ばれる祖師たちがいた。ティールタンカラとは〈渡し(ティールタ)を作る人〉〈救済者〉の意味で,ジナのことをさす。ちなみに,アルハットArhat(尊敬に値する人),バガバットBhagavat(尊い人)なども祖師に用いられ,アールハタĀrhataとは〈アルハットの教え〉すなわちジャイナ教を意味する。真理の教えは彼らティールタンカラたちによって遠い過去から受け継がれてきたという。最初のティールタンカラはリシャバṚṣabha(俗語形ウサバUsabha)といい,マハービーラは最後の第24祖とされる。直前の第23祖パールシュバナータPārśvanāthaはマハービーラより250年ほど前に実在し,ニガンタ派を率いていたらしい。マハービーラが彼の教えを改良してジャイナ教を確立したとすれば,パールシュバナータこそジャイナ教の創始者であったともいえる。
マハービーラは当時の自由思想家の一人として,バラモン教の供犠や祭祀を批判し,あわせてベーダ聖典の権威を否定して,合理主義的な立場から独自の教理・学説をうち立てた。サンジャヤ・ベーラッティプッタやゴータマ・ブッダと同様,彼は言語による真理表現の可能性を深く模索した結果,真理は多様に言い表すことができると説き,あらゆる事物に関して一方的判断を避けて相対的な立場より考察せよ,と教えた。これがマハービーラの思想を特徴づける相対主義(アネーカーンタ・バーダAnekānta-vāda)である。具体的な言語表現の仕方としては,〈これである〉とか〈これではない〉といった断定的な言い方をさけて,常に〈ある点からすると(スヤートsyāt)〉という限定を付すべきであるとし,いわゆるスヤード・バーダsyād-vāda理論を説いた。このことからジャイナ教徒をスヤード・バーディンSyād-vādinともいう。ジャイナ教は,こうした相対主義を思想的支柱として,後世ベーダーンタ学派の不二一元論やサーンキヤ学派の二元論,また仏教の無常論などと思想的に対抗して,インド思想史上無視できない重要な位置を占めるにいたった。
ジャイナ教の宇宙観は,その特色ある存在論を基礎とする。あらゆる存在は霊魂(ジーバjīva。〈命〉)と非霊魂(アジーバajīva。〈非命〉)とに大別され,非霊魂はさらに運動の条件(ダルマdharma),静止の条件(アダルマadharma),虚空(アーカーシャākāśa),物質(プドガラpudgala)の4種に分けられるという。霊魂と4種の非霊魂とをあわせて五つの基本的実在体(パンチャースティカーヤpañcāstikāya)と呼ぶ。ときに時間(カーラkāla)もこれに加えられる。宇宙は世界(ローカloka)と非世界(アローカaloka)とより成るが,世界は上の諸実在体より構成され,一方,非世界には虚空のみが充満しているという。後者には運動の条件も静止の条件も存在せず,それゆえ霊魂・物質は入りこめない。霊魂とは感覚・意識をもつもののすべてであり,無数の独立した存在である。伸縮自在であり,宿る身体によって大きさも変わる。霊魂は表面上の区別として,解脱したもの(ムクタmukta)と輪廻しているもの(サンサーリンsaṃsārin)の2種あり,前者は解脱を得て輪廻世界を超えたもので,完成者(シッダsiddha)ともいう。後者はいまだ生と死のサイクルに支配された状態のもので,神々,地獄の生きものをも含めた生きとし生けるものをさす。ジャイナ教でその存在を認める神々は,このように他の生きものと同様輪廻の世界のなかにいる。輪廻している霊魂を大別して,地,水,火,大気,植物は感官を一つしかもたない不動のもの(スターバラsthāvara),動物,人などは感官を二つ以上そなえた可動のもの(トラサtrasa)とする。
次に,物質はものを構成し,場所を占有する実在体で,色,味,香り,可触性,音性を属性とし,霊魂と同じく無数に存在する。その分割可能な最小単位を原子(パラマーヌparamāṇu)というが,原子の状態では知覚できない。ジャイナ教はインドで原子論を説いた最初の学派である。善悪の行為から生ずる業(カルマkarma)も物質とみなされる。さて,霊魂にはその本性として無限の知恵と知覚と威力と喜びが内在しているが,現実には業によって束縛され自由を奪われている。霊魂が精神的なものであれ肉体的なものであれ,ある行動を起こすと,その行為(ヨーガyoga)のために微細な業の粒子すなわち業物質が吸い寄せられ,霊魂に付着する。これを流入(アースラバāsrava)と呼ぶ。また,その業物質の重みで霊魂の上昇性が妨げられるのを束縛(バンダbandha)という。霊魂に付着する業物質は知恵を妨げる業など8種に分類できるが,それらの結合によって業の身体(カールマナ・シャリーラkārmaṇa-śarīra)が形成され,霊魂の行く末が決まる。業の身体は,その性質の善悪によって6段階の知覚できない色(レーシュヤーleśyā)を発しているという。業を引きずり苦しみの輪廻世界をさまよう霊魂がやすらぎの境地(ニルバーナnirvāṇa。〈涅槃〉)あるいは解脱(モークシャmokṣa)を得ようと望むならば,すでに付着した業物質の除滅(ニルジャラーnirjarā)と新たな業物質の流入の防止(サンバラsaṃvara)が必要となる。業が完全に取り除かれたときにのみ,霊魂は本来の上昇性を取り戻して一気に世界の頂きにまで達し,そこで完成者として永遠に休息することができる。ジャイナ教の存在論・世界観はこうして必然的に解脱を得るための宗教実践論に向かう。
ジャイナ教では宗教生活に必要な基本的心得を,三つの宝(トリ・ラトナtri-ratna)と称して重んずる。それは(1)正しい信仰,(2)正しい知識,そして(3)正しい行い,である。なかでも解脱を目的として行われるジャイナ教徒の宗教生活の上で重要なのは(3)の正しい行い,すなわち定められた戒律に従って正しい実践生活を送ることである。
修行生活に関する規定は多岐にわたるが,その基本は出家のための五つの大誓戒(マハーブラタmahāvrata),すなわち(1)生きものを傷つけないこと(アヒンサー),(2)虚偽のことばを口にしないこと,(3)他人のものを取らないこと,(4)性的行為をいっさい行わないこと,(5)何ものも所有しないこと(無所有),である。これらを完全には守ることのできない在家者は同項目の五つの小誓戒(アヌブラタaṇuvrata)に甘んずる。しかし可能な限り遵守して出家に近づくことが,在家者の理想である。仏教の五戒などと比べて特徴的なのは(5)の無所有(アパリグラハaparigraha)であり,これはこの教徒の宗教実践を特徴づけ,とくに裸行派(後述)の伝統に強く生きている。また(1)の誓戒,アヒンサーの遵守はジャイナ教徒にとってもっとも重要である。ジャイナ教はあらゆるものに生命を見いだし,動・植物はもちろんのこと,地・水・火・風・大気にまで霊魂(ジーバ)の存在を認めた。したがって彼らはアヒンサーの誓戒を破らぬために,あらゆる機会に細心の注意を払うことになる。空気中の小さな生物を殺さぬように白い小さな布きれで口をおおい,路上の生物を踏まぬようにほうきを手にした僧尼の姿はジャイナ教におけるアヒンサーの徹底ぶりを象徴している。食生活についてはジャイナ教の生物の分類学上,できる限り下等なものを摂取すべきであるが,土を掘り返して殺生を犯す危険性のある球根類,また採取にあたって殺生を伴う危険性の高いはちみつなども厳格なジャイナ教徒は口にしない。しかしアヒンサーを守るための最良の方法は断食であり,もっとも理想的な死はサッレーカナーsallekhanāすなわち断食を続行して死にいたることである。マハービーラも断食の末に死んだとされ,古来幾多のジャイナ教徒がこの断食死の方法を選んだ。
マハービーラ在世時,マガダのセーニヤSeṇiya(仏典中に見られるビンビサーラ)王やその王子クーニヤKūṇiya(アジャータシャトル)などの帰依・保護を受けて,すでに強固な教団を形成していたと思われるが,彼の没後はその高弟(ガナ・ダラgaṇadhara。〈教団の統率者〉)のなかで生き残ったスダルマンSudharman(初代教団長)などにより順次受け継がれ,マウリヤ朝時代にはチャンドラグプタ王や宰相カウティリヤなどの庇護を得て教団はいっそうの拡大をみた。それ以降のジャイナ教教団史をみる上では,白衣(びやくえ)派(シュベーターンバラŚvetāmbara)と裸行派(ディガンバラDigambara)の分裂,および両派の関係が重要である。
両派の分裂の萌芽はすでに前3世紀ころに認められるが,明らかな分裂は後1世紀ころに起こった。両派の相違点としては,白衣派が僧尼の着衣を認めるのに対し,裸行派はそれを無所有の教えに反するとして批判し,裸行の遵守を説く。また裸行派は裸行の実践が不可能な女性の解脱を認めない。また白衣派は行乞に際して鉢の携帯を認めるが,裸行派ではこれを認めない。概して,白衣派は寛容主義に立つ進歩的なグループ,裸行派は厳格主義に徹する保守的なグループであると言える。ただし両派の相違は実践上の問題が主で,教理上の大きな隔たりはみられない。両派はそれぞれがさらに細かな分派を生み,勢力の消長を繰り返した。中世,イスラム教徒のインド侵入は,仏教のみならずジャイナ教にも打撃を与えたが,それを契機として,ジナ尊像の礼拝を否定するロンカーLonkā派が新たに誕生するなど,根強い伝統は決してとだえることはなかった。
現在,白衣派の多くみられるのはグジャラート,ラージャスターン両州,ムンバイー(旧ボンベイ)などである。寺院で尊像を礼拝するデーフラーバーシーDehrāvāsī派とこれを行わないスターナクバーシーSthānakvāsī派の2派がある。裸行派はほとんど南インドに集中するが,マディヤ・プラデーシュ州にも多少みられる。テーラーパンティTerāpanthiとビスパンティVispanthiの2派があるが,生活儀礼の上でわずかな相違がみられるのみである。殺生を禁じられたジャイナ教徒の職業は,カルナータカ州に例外的に知られているわずかな農民を除けば,ほとんどが商業関係の職業に従事し,商才にたけたジャイナ商人はつとに有名である。現在ジャイナ教徒は260万ほどを数え(1971),これは全人口の0.5%にも満たないが,インド社会でのジャイナ教徒の結束はきわめて固い。
ジャイナ教の聖典はシッダーンタSiddhāntaあるいはアーガマĀgamaと呼ばれる。両派はそれぞれ異なる聖典をもつ。白衣派では伝説によると,前3世紀ころパータリプトラで開かれた最初の聖典編纂会議で古聖典(14のプッバPuvva。以下,聖典名は俗語形で記す)に関する記憶が集められ12のアンガAṅgaが編纂されたというが,最終的にまとめられて現形を得たのは,5世紀ころ西インドのバラビーにおける編纂会議であった。その組織は11のアンガ(第12アンガは伝わらない),12のウバンガUvanga,10のパインナPaiṇṇa,6のチェーヤ・スッタCheya-sutta,独立した《ナンディーNandī》と《アヌオーガッダーラAnuogaddhāra》および4のムーラ・スッタMūla-sutta,計7部45聖典である。各聖典の成立時期は異なるが,アンガ所属の《アーヤーラĀyāra》《スーヤガダSūyagaḍa》,ムーラ・スッタ所属の《ウッタラッジャヤナUttarajjhayaṇa(あるいはウッタラッジャーヤーUttarajjhāyā)》と《ダサベーヤーリヤDasaveyāliya》などが最古層に属する。《アーヤーラ》の第1編の最後の章にはもっとも古く信頼すべきマハービーラの伝記が述べられている。
聖典はジャイナ教の教義,出家修行者の生活規範,在家者の倫理道徳,またそれらを盛りこんだ説話・寓話など多岐にわたり,天文学・占星学に関するものも含む。上の組織に入らない独立聖典《イシバーシヤーイムIsibhāsiyāiṃ》は,ジャイナ教に限らずバラモン教・仏教も含めた諸哲人・聖者の語録を集める異色の聖典である。白衣派聖典の言語は俗語アルダ・マーガディー(半マガダ語)で,伝統的にはアールシャĀrṣa(リシ=聖仙のことば)と呼ばれる。一方,裸行派はいにしえの聖典はすべて散逸したとして白衣派聖典の権威を否定し,俗語シャウラセーニーŚaurasenīで書かれる独自の文献を聖典として所持する。白衣派の聖典に対しては紀元後まもない頃より俗語マーハーラーシュトリーMāhārāṣṭrīによって《ニッジュッティNijjutti》《チュンニCuṇṇi》《バーサBhāsa》などと呼ばれる諸注釈書が著され,また同じ俗語によって叙事詩《ラーマーヤナ》の翻案《パウマチャリヤPaumacariya》(6世紀)やハリバドラHaribhadra(8世紀)の《サマラーイッチャカハーSamarāiccakahā》など説話作品も数多く生み出された。サンスクリット語で最初に書かれたのは有名なウマースバーティUmāsvātiの教理綱要書《タットバールターディガマ・スートラ》であるが,サンスクリット語の使用ものちには両派において一般化した。裸行派の著名な学匠クンダクンダKundakunda(4~5世紀)は自派の聖典用語で《ニヤマサーラNiyamasāra》など哲学書を書いた。ジャイナ教の学匠のなかでもっとも広く知られているのは白衣派のヘーマチャンドラ(12世紀)であろう。彼は諸学に通じ,すぐれた文法学者・文筆家として多くの作品を残した。俗語文学は10世紀前後にはアパブランシャ語作品が流行し,ダナパーラDhanapālaの叙事詩《バビサッタカハーBhavisattakahā》などのすぐれた作品を生んだが,その後もジャイナ教徒はサンスクリットとともに,その時代の地方語・俗語を文学作品に用いた。中世裸行派の中心となった南インドでは,タミル語やカンナダ語で多くの文学作品が作られた。
執筆者:矢島 道彦
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紀元前6~前5世紀ごろ、ゴータマ・ブッダ(釈迦(しゃか))とほぼ同時代のマハービーラによって創設され、今日もなお生命を保つインドの宗教。とくにアヒンサー(生きものを傷つけないこと、不殺生(ふせっしょう))の誓戒を柱とする厳格な禁欲主義で知られる。
[矢島道彦]
マハービーラは元来「偉大な勇者」を意味する尊称で、本名をバルダマーナ(「繁栄をもたらす者」の意)という。彼はマガダ(現ビハール州)の都市バイシャーリー市近郊のクンダ村で、クシャトリヤ(武人階級)の父シッダールタと母トリシャラーの間に生まれた。氏族名をジュニャートリ(俗語形ナーヤまたはナータ)といった。若くしてヤショーダーという名の姫を迎え、1女をもうけたともいわれるが、この点については賛否が分かれる。30歳で出家し、ニガンタ派とよばれる修行者の群れに身を投じて、12年に及ぶ厳しい苦行ののち、ケーバラ・ジュニャーナ(完全知)を体得してジナ(勝利者)となった。ジャイナ教とは「ジナの教え」を意味する。その後30年間教えを説き広めながら、遍歴の旅を続け、72歳でパータリプトラ(現パトナ)近郊のパーバー村において世を去ったという。その没年は前477年ごろと推定される。仏典では、当時の代表的な6人の自由思想家(六師外道(ろくしげどう))のなかに、ニガンタ・ナータプッタ、すなわち「ニガンタ派のジュニャートリ氏族出身者」として出ている。
ジャイナ教徒の信仰では、マハービーラ以前にすでに23人のティールタンカラ(渡しをつくる人=ジナ)とよばれる祖師たちがいて、真理の教えはその始祖リシャバ以来、順次受け継がれてきたものとされる。これによると、マハービーラは第24番目のジナとなるが、直前の第23祖パールシュバはニガンタ派を率いていた歴史的実在の人物と考えられる。ニガンタ派に出家したマハービーラが、彼の教えに部分的に改良を加え、ジャイナ教を確立したとすれば、パールシュバこそ真の創始者であったということもできるかもしれない。
[矢島道彦]
「生きものが生きものを苦しめる」世界の現状を憂慮して、マハービーラは、当時バラモン教徒の間で行われていた犠牲祭をとくに批判し、またあわせて、彼らの依拠していたベーダ聖典の権威も否定した。彼は、動植物はもちろんのこと、地・水・火・大気をよりどころとする大小さまざまな生物の存在を認め、生命の尊厳を訴えた。そして、新たに合理主義的な立場から独自の教えを示した。サンジャヤやゴータマ・ブッダなど当時の自由思想家たちと同様、彼もまた真理とは何かについて深く模索した。事物の認識には多くの観方(みかた)(ナヤ)が必要であり、つねに一方的な判断を避けて相対的な考察を行うべきである。真理はことばによって多様に言い表されるべきものであると主張した。これがマハービーラの思想を特徴づける不定主義・相対主義(アネーカーンタ・バーダ)である。具体的な言語表現の仕方として、つねに「スヤート(ある点からすると)」という限定詞をつけよといい、いわゆるスヤードバーダの理論を示した。このためジャイナ教徒はスヤードバーディンともよばれる。ジャイナ教はこのような相対主義を思想的支柱として他の諸学派に対抗し、インド思想史のうえでも無視できない位置を占めるに至った。
[矢島道彦]
ジャイナ教では、あらゆる存在物を霊魂(ジーバ)と非霊魂(アジーバ)とに大別し、後者をさらに運動の条件(ダルマ)、静止の条件(アダルマ)、虚空(こくう)(アーカーシャ)、物質(プドガラ)の4種に分け、あわせて「五つの存在の集まり」(パンチャ・アスティカーヤ)という。これに時間(カーラ)を加えることもある。宇宙は世界(ローカ)と非世界(アローカ)よりなり、世界はそれらの諸実体で構成され、一方、非世界には虚空のみ充満する。霊魂は感覚や意識をもつものいっさいを含む。それは表面上、解脱(げだつ)者(ムクタ)と輪廻(りんね)者(サンサーリン)とに大別され、前者は解脱(モークシャ)を得たもの、すなわち完成者(シッダ)、後者は神々や地獄の生きものを含めた生きとし生けるものをいう。霊魂は業(ごう)(カルマン)の流入(アースラバ)と束縛(バンダ)によって苦しみの輪廻世界をさまよっているが、瞑想(めいそう)と苦行を行い、新たな業の防止(サンバラ)と過去の業の除去(ニルジャラー)を達成すれば解脱を得て、本来の純粋で完全な姿を回復できると説く。ジャイナ教徒の目ざす宗教的理想は、三つの宝(トリ・ラトナ)とよばれる正しい信仰(ダルシャナ)と知識(ジュニャーナ)と行為(チャーリトラ)に集約されるが、正しい行為とは、定められた戒律に従って正しい実践生活を送ることであり、その基本は、出家のための五つの大誓戒(マハーブラタ)、すなわち(1)生きものの命を奪わないこと(不殺生、アヒンサー)、(2)嘘(うそ)をつかないこと(不妄語)、(3)盗みをしないこと(不盗)、(4)性的行為をしないこと(不淫(ふいん))、(5)なにものも所有しないこと(無所有)、である。大誓戒を守りきれない在家者は同項目の小誓戒(アヌブラタ)に甘んじなければならないが、しかし可能な限り遵守して出家に近づくことが彼らの理想とされる。無所有の誓戒はこの教徒の宗教実践を特徴づけるものの一つで、とくに保守的な裸行(らぎょう)派の伝統に生きる。また第一の誓戒、アヒンサーの遵守はもっとも重要である。ジャイナ教では動植物はもちろん、地・水・火・大気にまで至るあらゆるものに霊魂の存在を認めたから、アヒンサーの誓戒を破らぬよう、あらゆる機会に細心の注意を払わなければならない。しかしアヒンサーを守るための最良の方法は断食であり、もっとも理想的な死は、断食を続行して死に至ること(サッレーカナー)である。ただしこの断食死は、原則として飢饉(ききん)、老齢、不治の病などに限って許される。
[矢島道彦]
ジャイナ教の聖典はアーガマあるいはシッダーンタとよばれ、白衣(びゃくえ)派ではアンガ、ウパーンガ、チェーダなどの7部、計45の典籍をもつ。内容は教義や出家・在家の生活法、またそれらを盛った説話・寓話(ぐうわ)など多岐にわたる。アンガ所属の『アーチャーラ』にはもっとも古くかつ信頼できるマハービーラの伝記がみえる。雨期の生活法やジナたちの伝記を扱うチェーダ所属の『カルパ・スートラ』はもっとも人気のある聖典で、パリウシャナ祭での朗詠の習わしはいまも続く。また絵入り写本でも知られている。白衣派の聖典は俗語アルダマーガディーで書かれ、一方裸行派はこれを否認して、俗語シャウラセーニーで独自の聖典を伝える。同派の学匠クンダクンダもこの言語を用いた。俗語の使用と俗語文学の隆盛はジャイナ教の文学史を特徴づけ、ヘーマチャンドラなどにより字彙(じい)や文典も多数つくられた。サンスクリット語の使用もウマースバーティの教義書に始まり、のちには一般化した。
[矢島道彦]
マハービーラ在世中、マガダのセーニヤ(仏教のビンビサーラ)王やその王子クーニヤ(アジャータサットゥ)などの帰依(きえ)・保護を受け、すでに強固な教団を形成していたと思われるが、没後は高弟(ガナダラ「教団の統率者」)のスダルマンなどによって順次受け継がれていった。マウリヤ朝時代にチャンドラグプタ王などの庇護(ひご)を得て教団の拡張をみた。以降のジャイナ教団史をみるうえでは、とくに白衣派(シュベーターンバラ)と裸行派(ディガンバラ)の分裂と両派の関係をたどることが重要となる。両派の分裂はすでに前3世紀にその萌芽(ほうが)が認められるが、明らかな分裂は後3世紀ころに起こった。両派の相違点は、たとえば、白衣派が僧尼の着衣を容認するのに対して、裸行派は無所有の教えに反するとして裸行の遵守を主張すること、また裸行派は裸行を実践できない女性の解脱を認めないことなどで、概して白衣派は寛容主義にたつ進歩的グループ、裸行派は厳格主義に徹する保守的グループといえる。両派は異なる聖典を伝えているが、教理上の差異はみられず、前記のような実践面での相違が主たるものである。両派はそれぞれさらに細かな分裂を生み、また消長を繰り返した。中世、イスラム教徒のインド侵入は、ジャイナ教にも大きな打撃を被らせたが、むしろそれを契機としてジナ尊像の礼拝を否定する復古主義のローンカー派の誕生をみるなど、ジャイナ教の伝統はとだえることはなかった。
[矢島道彦]
現在、白衣派の多くみられるのはグジャラート、ラージャスターンの両州、ムンバイ(ボンベイ)などである。寺院で尊像を礼拝するデーフラーバーシー派とこれを行わないスターナクバーシー派に大別される。裸行派はほとんど南インドに集中しており、これにテーラーパンティとビースパンティの2派があるが、生活儀礼のうえでわずかな相違がみられるだけである。ジャイナ教徒が行っている祭りとしては、マハービーラの誕生を祝うマハービーラ・ジャヤンティ(3~4月)、その逝去(完全な解脱)にちなんで行われるディーワーリー祭(ヒンドゥー教徒のディーワーリー祭の10日後)、雨期の終わりのパリウシャナ祭(8~9月)などが主たるものである。これらの祭りでは、瞑想(めいそう)と断食は欠かすことのできないものとなっており、また聖地は敬虔(けいけん)な信者たちであふれる。ジャイナ教の聖地はティールタとよばれ、祖師たちの解脱や逝去がそこで起こったとされる土地である。とくに10世紀前後より西インドを中心につくられた大規模な聖地(たとえばアーブー山、パーリーターナー(シャトルンジャヤ)、ギルナールなど)、またゴンマテーシュバラ(バーフバリ)の巨大な石像の建つ南インドの聖地シュラバナベールゴーラなどは、今日もその壮大なスケールを保ち、参詣(さんけい)の人々でにぎわっている。殺生を禁じられたジャイナ教徒の職業はほとんど商業関係に集中しており、商才にたけたジャイナ商人はつとに有名である。ジャイナ教徒の数は現在260万人ほどで、全人口の0.5%にも満たないが、インド社会におけるジャイナ教徒の社会的勢力はけっして小さくない。
[矢島道彦]
『金倉円照著『印度精神文化の研究――特にヂャイナを中心として』(1944・培風館)』▽『坂本知忠著『ジャイナ教の瞑想法――6つの知覚瞑想法の理論と実践』(1999・ノンブル社)』▽『W. SchubringThe Doctrine of the Jainas (tr. from the revised German edition by W. Beurlen) (1962, Motilal Banarsidass, Delhi)』▽『S. StevensonThe Heart of Jainism (1970, Munshiram Manoharlal, New Delhi) (reprint)』
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インドの宗教。開祖はマハーヴィーラ。ヴェーダの権威を否定。あらゆる事物に関する一方的判断を否定する真理相対主義に立ち,インド思想史上特異な位置を占める。すべての存在は霊魂と非霊魂に二分される。動物,人間のほか,地,水,火,大気,植物も霊魂に属する。非霊魂に属する物質は知覚されない原子を最小単位とする原子論を主張。霊魂は善悪の行為の結果,輪廻(りんね)につながれている。解脱(げだつ)を得るため正しい信仰,正しい知識にもとづき正しい行いをすべしと教える。正しい行いのなかで最も重要な不殺生(アヒンサー)は独自の霊魂観に由来する。不殺生の最終的実践として断食(だんじき)による死が重要視される。無所有の実践としての裸行の遵守をめぐり,厳格な空衣(くうい)派と寛容な白衣(はくい)派に1世紀頃分裂した。聖典などはプラークリットで書かれていたが,6世紀頃からサンスクリットも使われた。不殺生の強調により在家信者のほとんどは商業に携わり,現在も300万人以上の信者が西インドを中心に存在する。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
… 宗教面にもこの地域の多様性は容易に見てとれる。インドを例にとると,ヒンドゥー教,シク教,ジャイナ教,仏教があり,またそのほかに各部族のそれぞれの宗教形式がある。中世以降に流入,伝播したものは,イスラムとキリスト教がおもなものである。…
…インドの思想家たちは,人間存在やその拠り所としての世界に関する思弁・洞察をダルシャナdarśanaと呼んだが,この語は〈見(観)る〉を意味する動詞から派生した名詞であり,西洋およびインドの諸学者は,これをphilosophyと訳している。ダルシャナは聖典の権威によらず,理論的思索のみによって行う哲学的探求アーヌビークシキーānvīkṣikīをも包摂しているが,インドの思想家がダルシャナのなかに含めているのは,今日宗教と呼ばれている仏教,ジャイナ教,およびベーダーンタ哲学など,ヒンドゥー教の諸体系である。ダルシャナは哲学のみならず宗教というべき側面をももっており,インドにおいては宗教と哲学とは一体をなしていて不可分離の関係にあり,ダルシャナはヨーロッパ的意味での〈哲学〉や〈宗教〉という概念を逸脱している。…
…インドのジャイナ教白衣(びやくえ)派の学匠。ダンドゥカ(グジャラート州アフマダーバード近郊)の生れ。…
※「ジャイナ教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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