改訂新版 世界大百科事典 「ジャンドマン」の意味・わかりやすい解説
ジャン・ド・マン
Jean de Meung
生没年:1240ころ-1305
フランスの詩人,翻訳家。本名ジャン・ショピネルChopinelまたはクロピネルClopinel。オルレアンに近いマン・シュル・ロアールに生まれ,パリのサン・ジャック街に住んだ。貴族の確証はないが,豊かな暮しぶりであったと推定される。文学士の資格を有し,古典や中世の著作に通じ,哲学的素養と博識を誇る。おそらくアベロエスの影響下にあった大学の知識人たちと接触があったであろう。しかし特にボエティウス,オウィディウス,リールのアラヌス,ギヨーム・ド・サン・タムールから深い影響を受ける。彼はまずウェゲティウスの《兵法》,アベラールとエロイーズの《往復書簡集》,ボエティウスの《哲学の慰め》を仏訳する。さらに2編の風刺詩《文学士ジャン・ド・マンの遺言書》《文学士ジャン・ド・マンの遺言補足書》も彼の作とされる。しかし彼が著名であるのはとりわけ《薔薇物語》後編の作者としてである。彼が前編の作者の死後40年経ってその続編を書こうとした意図は必ずしも明らかではないが,彼はことごとく前編の逆をゆき,物語の性格を大きく変えてその射程を著しく拡大したと言える。
執筆者:神沢 栄三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報