ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジョーダン」の意味・わかりやすい解説
ジョーダン
Jordan, Michael
アメリカ合衆国のバスケットボール選手。本名 Michael Jeffrey Jordan。バスケットボール史上最高のオールラウンドプレーヤー。並はずれた跳躍力と空中での優雅な動きから「エアージョーダン」のニックネームで呼ばれた。ノースカロライナ州ウィルミントンで少年時代を過ごし,1981年ノースカロライナ大学に入学。 1984年のロサンゼルス・オリンピック競技大会と 1992年のバルセロナ・オリンピック競技大会に出場し,アメリカに金メダルをもたらした。 1984年NBAのシカゴ・ブルズに入団。プロ1年目でリーグ得点王となり,最優秀新人賞を受賞。最優秀選手 MVPに5回選出 (1988,1991,1992,1996,1998) 。 1991~93年ブルズ3連覇ののち,突如引退を表明してプロ野球選手に転身したが,1995年復帰。 1995-96シーズンにはブルズをレギュラーシーズン 72勝 10敗という NBA史上最多勝利に導いた。 1996~98年にかけてブルズは2度目の3連覇を達成し,3年連続でファイナルの MVPに輝いた。 1999年2度目の引退を発表。 2000年ワシントン・ウィザーズの共同オーナーの一人となったが,2001年ウィザーズの選手として復帰。 2003年引退。通算成績は3万 2292得点,1試合平均 30.12得点 (NBA歴代1位) 。
ジョーダン
Jordan, David Starr
[没]1931.9.19. カリフォルニア,スタンフォード
アメリカの教育家,自然科学者,哲学者。コーネル大学,インディアナ医科大学に学び,1879年インディアナ大学動物学教授,85年学長。 91~1913年スタンフォード大学総長。晩年はおもに世界平和のために献身。第1次世界大戦へのアメリカ参戦に反対し,世界連邦主義を提唱。著書は 50冊をこえ,おもなものに『戦争と荒廃』 War and Waste (1914) ,『民主主義と国際連帯』 Democracy and World Relations (19) ,自叙伝『ある男の過ぎし日々』 The Days of a Man (22) などがある。
ジョーダン
Jordan, Sir John
[没]1925
イギリスの外交官。 1876年通訳学生として北京に派遣された。のち駐清国公使館員となり,96年朝鮮に転じ,総領事,代理公使,弁理公使を経て,1906年清国公使となった。中国,朝鮮での長期在勤を利用して北京外交界を牛耳り,辛亥革命の際には,日本の進出に対抗してイギリス権益を擁護するため,袁世凱の政権掌握に尽力した。 20年退官したが,ワシントン会議には出席した。
ジョーダン
Jordan, Dorothea(Dorothy)
[没]1816.7.3. サンクルー
アイルランドの女優。本名 Bland。ダブリンで初舞台,のちにロンドンに渡り,ドルアリー・レーン劇場でシドンズ夫人に次ぐ人気女優として活躍。また,クラレンス公 (のちのウィリアム4世 ) との間に 10人の子をもうけるが,正式な結婚とはならず,1815年フランスへ移って晩年を過した。
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