改訂新版 世界大百科事典 「ダヤンハーン」の意味・わかりやすい解説
ダヤン・ハーン (達延汗
)
Dayan khan
生没年:1464-1524?
15世紀末から16世紀前半にかけてモンゴルを支配した人物。モンゴル年代記によれば,本名はバト・モンケ,父はバヤン・モンケと称したボルフ・ジノンでチンギス・ハーン15世孫ともいう。16歳(一説に7歳)で即位し,当時分裂し混乱していたモンゴルを統一,チンギス・ハーン家の権威を復活させたことから,中期モンゴル再興の主といわれる。ただその事跡については,史料上の混乱もあってなぞの部分が多いが,モンゴル右翼部(モンゴル西部)を支配していたイスマーイール,あるいはイブラヒムらと戦ってこれを打倒,モンゴルの政治的統一をもたらしたのは彼の最大の業績といわれる。その治世は38年に及んだ。彼には男子が9人あったが,早く亡くなった2人を除いてその他はモンゴル各地に分封され,のちにその子孫が内外モンゴル全体に広がっていった。17世紀に清朝の支配下に入ったが,内モンゴル49旗のうち23旗が,また外モンゴル86旗のうち83旗がダヤン・ハーンを祖としている。
執筆者:森川 哲雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報