旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号機で1986年4月26日に発生。試験運転中に爆発し建屋は破壊、核燃料の炉心溶融(メルトダウン)が起き、大量の放射性物質が欧州の広い範囲を汚染した。消火に当たるなどした数十人が急性放射線障害で死亡、数十万人が移住を強いられた。ウクライナ、ベラルーシ、ロシアで事故時18歳以下だった約2万人が甲状腺がんを発症したとのデータもある。事故の深刻度を示す国際尺度は東京電力福島第1原発事故と同じ最悪の「レベル7」。ウクライナを昨年2月に侵攻したロシア軍が1カ月以上、原発を占領した。
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(渥美好司 朝日新聞記者 / 2008年)
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1986年4月26日,旧ソ連ウクライナ共和国の北辺に位置するチェルノブイリChernobyl’原発で発生した原子力発電開発史上最悪の事故。1986年8月にソ連政府がIAEA(国際原子力機関)に提出した事故報告に基づくと,事故により原子炉職員と消防士31人が死亡し,原発周辺30km圏から,隣接するプリピャチ市住民4万5000人を含め,13万5000人の住民が避難した。1989年には,原発から300kmも離れた地域にも高放射能汚染地域が広がっていることが新たに公表され,ベラルーシではさらに11万人もの人々の移住が決定された。
事故原因の見直しを行ったソ連原子力産業安全監視委員会特別委員会は1991年1月の報告で,〈事故の原因は,原子炉の欠陥とそれを知る立場にありながらしかるべき対策をとらなかった責任当局にある〉とした。
執筆者:編集部
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ソ連ウクライナのプリピャチ市にあった原子力発電所で,1986年4月26日に起った人類史上最悪の原子炉爆発事故。当局は事故の恐ろしさを理解しておらず,かつ真実を知らせなかった。火事を消し,破壊された炉をコンクリート壁で密閉するまでの作業に動員された兵士,消防士,炭坑夫数十万人が被爆した。地区住民の撤退も遅れ,被害を大きくした。被害は隣接するベラルーシにおいてはなはだしく,ロシア共和国でもブリャンスク地区が被害を受けた。多くの人が故郷を捨て,移住せざるをえなかった。チェルノブイリの事故はソヴィエト体制を震撼させ,グラスノスチとペレストロイカを必至にした。
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