日本大百科全書(ニッポニカ) の解説 チャイコフスキー(年譜)ちゃいこふすきーねんぷ 1840 5月7日、ボトキンスクにて、イリヤ・ペトロビチの次男として誕生1852 ペテルブルグの法律学校本科に入学1854 6月、母アレクサンドラ・アンドレエブナ死去。このころから音楽に専心する1859 法律学校卒業。法務省の九等文官になる1862 ペテルブルグ音楽院に入学1863 5月13日、法務省を辞職1866 ペテルブルグ音楽院卒業。交響曲第1番「冬の日の幻想」。9月、モスクワ音楽院の教授になる1868 批評活動開始。バラキレフ率いる作曲家集団「力強い一団」と交友し始める1869 オペラ『ウンディーネ』。幻想的序曲『ロメオとジュリエット』1871 弦楽四重奏曲第1番1873 劇音楽『雪娘』。幻想序曲『テンペスト』1875 ピアノ協奏曲第1番。交響曲第3番1876 バレエ『白鳥の湖』。12月30日、フォン・メック夫人との文通が始まる1877 7月18日、教え子アントニーナと結婚。交響曲第4番1878 オペラ『エウゲーニー・オネーギン』。バイオリン協奏曲。歌曲集(作品38)。モスクワ音楽院を辞職1879 オペラ『オルレアンの少女』1880 弦楽セレナード。序曲『1812年』1882 N・ルビンシュテインの死に際して、ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」1883 戴冠式カンタータ『モスクワ』。オペラ『マゼッパ』1884 3月、聖ウラジーミル勲章を受章1885 2月、マイダノボ移転。オペラ『チェレビチキ』。交響曲「マンフレッド」1887 オペラ『魔女』。管弦楽組曲第4番「モーツァルティアーナ」。指揮者としてヨーロッパへ演奏旅行に1888 交響曲第5番1889 第2回ヨーロッパ演奏旅行。バレエ『眠れる森の美女』1890 オペラ『スペードの女王』1891 5月5日、カーネギー・ホールの柿(こけら)落しに出演。オペラ『イオランタ』1892 バレエ『くるみ割り人形』。クリン転居1893 6月24日、ケンブリッジ大学から音楽名誉博士号受領。8月、交響曲第6番「悲愴」。10月28日、同曲をペテルブルグで自ら指揮初演。11月6日午前3時、ペテルブルグの弟宅で死去。53歳 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例