改訂新版 世界大百科事典 「チョガマミ」の意味・わかりやすい解説
チョガ・マミ
Choga Mami
ザーグロス山脈の西麓にあるイラクの先史時代遺跡。北メソポタミアと南メソポタミアの先史時代文化の関係を探る目的で,オーツ夫妻David&Joan Oatesがこれまで知識の空白地帯であったイラン国境近くのマンダリー近辺を1960年から踏査し,いくつかのテルのうちここを選び発掘して,前6千年紀にさかのぼる最古の灌漑用の運河跡をはじめて確認した。サーマッラー期の運河の遺構はテルの南西部で発掘され,約2mの幅をもち,時代による移動の跡が認められた。地表に残る後代の運河の跡を参考に復原すると,ガンギール川によって形成された西に傾斜する扇状地を南東から北西へ河水を引いていたようである。この遺跡の発掘は,先史時代におけるメソポタミアの南と北との関係の考察に重要な資料を提供したばかりでなく,灌漑農業を基盤とするメソポタミア文明の形成過程を究明する上でも,遺構としての運河跡が発見されたことの意義はきわめて大きい。テルはマンダリーの北西4kmにあり,200m×100m,高さ2~5mのテルで,発掘によって4層が識別された。下層はサーマッラー文化に属するが,上層からはサーマッラー式土器の伝統を引きながら南メソポタミアのウバイドⅠ,Ⅱのそれとよく似た土器が発見され,〈移行式〉土器と認められた。サーマッラー期の町は350m×100mの広さで,下層の壁の位置は次の上層にそのまま引き継がれていて,所有権の継承が社会的に認められていたのではないかとも考えられている。灌漑によって栽培された植物は,エンマー小麦,パン小麦,六条裸大麦,二条皮大麦,亜麻,レンズ豆等である。
執筆者:小野山 節
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報