ソビエト連邦の宇宙飛行士。ロシア共和国ヤロスラブリ近郊に生まれる。1960年にヤロスラブリ紡績技術学校を卒業。織物工場に勤務していたころ、地元の航空クラブでスカイダイビングをしていたことをきっかけに、1962年に宇宙飛行士候補に選抜された。1963年6月16日、人工衛星「ボストーク(ウォストーク)6号」に搭乗。世界初の女性宇宙飛行士として、71時間ほどで地球を48周した。彼女のコールサインである「私はカモメ(ヤー・チャイカ)」は有名になった。
宇宙飛行後はジュコフスキー空軍大学に入学し、1969年に宇宙工学の単位を得て卒業。1977年に工学で博士号を取得した。宇宙飛行士訓練学校職員を経て、ソ連婦人委員会議長、対外友好文化交流協会連盟議長などを務める。1966年から1991年までソ連邦最高会議代議員、党中央委員会委員を歴任。また、2011年のロシア下院選挙に出馬して当選し、政界に復帰した。向井千秋(むかいちあき)らの活躍につながる、女性宇宙飛行士への道を開いた意義は大きい。
[山本将史 2022年4月19日]
『武部俊一著『宇宙開発の50年――スプートニクからはやぶさまで』(2007・朝日新聞社)』
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…2号(1961年8月)ではG.S.チトフが25時間18分の宇宙飛行を行い,3号は4号との間で人類初のランデブー飛行に成功(1962年12月),5号(1963年6月)ではV.F.ブイコフスキーによる119時間6分の長期宇宙滞在記録を樹立した。ボストークシリーズ最後の6号(1963年6月)には初の女性宇宙飛行士V.V.テレシコワが乗り,70時間50分の宇宙飛行の間ボストーク5号とランデブー飛行を行った。ボストークは〈東〉の意。…
※「テレシコワ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加