ドースブルフ(読み)どーすぶるふ(英語表記)Theo van Doesburg

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドースブルフ」の意味・わかりやすい解説

ドースブルフ
どーすぶるふ
Theo van Doesburg
(1883―1931)

オランダ画家、室内装飾家、美術評論家。本名Christia an Emil Marie Küpper。8月30日ユトレヒトに生まれる。独学で絵画を学び、1910年ごろからキュビスムの影響を受けた。17年モンドリアンらとデ・ステイルを結成し、同名の機関誌の編集を担当した。新造形主義に触発されその原理にのっとって抽象的なコンポジションを描く一方、機関誌を舞台に評論活動を始め、20年代にはドイツのバウハウスに接近し、ヨーロッパを講演旅行してデ・ステイルの理念の国際化に努めた。22年ドイツのダダイストシュビッタースとオランダの主要都市で「ダダ巡業」を行う。24年以降、直角的な構成に対角線を導入してダイナミックな効果をねらい、26年これを「エレメンタリズム」Elementarismと命名し、モンドリアンと一線を画した。アルプとレストラン「オーベット」を装飾(現存せず)。30年雑誌『具体芸術』を刊行。「抽象=創造(アプストラクシオン・クレアシオン)」のグループでも重要な位置を占めるなど国際的に活躍、31年3月7日スイスのダボスで没した。

[野村太郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドースブルフ」の意味・わかりやすい解説

ドースブルフ
Doesburg, Theo van

[生]1883.8.30. ユトレヒト
[没]1931.3.7. ダボス
オランダの画家,美術評論家,建築家。本名 Christian Emil Marie Küpper。 1917年ライデンで P.モンドリアンとともに雑誌『デ・ステイル』 (1917~31) を創刊し,抽象美術とデザイン,建築の総合化を目指した運動を展開。 1924年エレメンタリズム提唱,その作風は造形要素を最も基本的形態に還元し,色彩も青,赤,黄の三原色と白,黒,灰に限定して画面を創造した。水平線と垂直線を本質とするモンドリアンに対し対角線を基本とするもので,このためモンドリアンと決別ダダにも関心を示し,ダダ的な詩のほか雑誌『メカノ』を刊行。小説も書き多彩な活動をした。

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