第1次大戦後のドイツ賠償問題に関し,アメリカの銀行家ドーズCharles G.Dawes(1865-1951)を長とする賠償委員会が1924年に作成した賠償支払計画案。ドイツは大戦後1320億金マルクにのぼる膨大な賠償を課せられたが,極度のインフレにより支払不能に陥り,フランスはそのかたに1923年1月ルールを占領し,ドイツ経済は大混乱に陥った。ドーズ委員会は,ドイツ通貨の安定と財政均衡をはかり,賠償方式を緩和させる一方で,ドイツの鉄道,工業施設を担保にすることによってアメリカの資本を導入し,ドイツ工業の復興をはかる収拾案を作成し,これが24年7~8月のロンドン賠償会議で採択調印された。以後,支払は円滑に進行し,ドイツ経済立直りのきざしが見えた。25年ドーズはその功績によりノーベル平和賞を受ける。しかしドイツは,なお膨大な賠償支払のために,同案実施後6年にして再度支払困難に陥り,のちヤング案による修正を余儀なくされた。
執筆者:進藤 栄一
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第一次世界大戦後ドイツの賠償問題をめぐるルール占領などの混乱ののち,国際専門家委員会(アメリカの銀行家ドーズが議長)によって新たに提案され,1924年8月ロンドン会議で採択された賠償支払計画。ドイツ経済を破壊することなく賠償支払いを円滑に行う方法として,向こう5年間の経過措置を定め(初年度10億金マルクから5年目に標準額25億金マルクへとゆるやかに増加),外貨でなく自国通貨による支払いも認めた。ライヒスバンク(ドイツ中央銀行)を連合国の監督下に置くとしたほか,支払財源の一つとしてドイツ国有鉄道を株式会社経営に変え,その収益を提供することなど,憲法修正条項を含んでいたが,ドイツの国会で承認,受諾され,1925年7月フランスはルールから撤兵した。
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第一次世界大戦後のドイツ賠償支払い問題に関する計画案。1924年、アメリカのC・G・ドーズを長とする国際専門委員会によって作成され、この年の9月からヤング案成立(1930)までの6年間実施された。28年度以降の標準年次金を25億金マルクとし、それまでの年次金を低くし、ドイツの賠償支払いを円滑化しようとした。また、ドイツの支払い義務は、連合国監督下のライヒスバンクへの払込みをもって完了し、外資調達は連合国の責任とされた。ドーズ案の成立は、ドイツへの外資流入の道を開き、これによってドイツに流入した巨額の外資、とくにアメリカ資本は、相対的安定期のドイツ経済の再建と、連合国の対アメリカ戦債支払いを可能とした。
[紀平英作]
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[崩壊]
ベルサイユ体制の最大の不安定要因はドイツの不満であり,ドイツの最大の不満は賠償問題をめぐるものであった。1924年になると,アメリカの財政問題の専門家C.G.ドーズを委員長とする賠償専門委員会によっていわゆるドーズ案が作成された。ドーズ案は賠償総額を棚上げにしてさしあたり5年間にドイツが支払うべき額を決定した。…
…ラインラントではフランスの後援による分離運動が活発化した。このなかで,ドイツ政府は11月,レンテンマルクを発行してインフレを抑え,国防軍の力によって各地の反乱を鎮めるとともに,経済再建を望むアメリカと,革命化を恐れるイギリスの助けを借りて,24年8月,ドーズ案を締結して賠償問題を暫定的に解決し,ようやく混乱を乗り切ったのである。
[相対的安定期]
ドーズ案の成立とともに,共和国にはしばしの安定と繁栄が訪れた。…
※「ドーズ案」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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