日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニュートン(年譜)」の意味・わかりやすい解説 ニュートン(年譜)にゅーとんねんぷ ※月・日はユリウス暦1642 10月 父アイザック没。12月25日、ウールスソープに生まれる1654 グラマー・スクールに入学1661 トリニティ・カレッジに入学1665 トリニティ・カレッジ卒業。無限小の概念に基づく微分法発見。流率法の概念確立。万有引力の発見1666 「10月論文」。光学実験1668 マスター・オブ・アーツとなる。反射望遠鏡製作1669 10月 ルカス教授に就任。光学を講義1671 「流率法と無限級数」1672 ロイヤル・ソサイエティー会員。「光と色の新理論」。フックとの論争始まる1675 「光と色の理論」。ライプニッツ、微分積分法を発見1676 フックから和解の手紙1679 母ハナ没。フックから誘いの手紙。ケプラーの第一・第二法則を証明し、逆二乗則を導く1684 ハリー、ニュートンを訪問1686 アルバン・フランシス事件。ニュートンも大学の全権委員として裁判所に出頭。『プリンキピア』第1部の原稿をロイヤル・ソサイエティーに提出1687 『プリンキピア』第2部・第3部の原稿をロイヤル・ソサイエティーに提出。『プリンキピア』刊1688 大学代表の国会議員となる1693 秋に強いうつ病にかかる1696 造幣局監事となる1699 造幣局長官となる。ファシオがライプニッツを非難1701 ルカス教授職とトリニティ・カレッジのフェローを辞任。ケンブリッジ大学選出国会議員となる1703 ロイヤル・ソサイエティー会長になる1704 『光学』刊(付録に「求積論」)1705 ナイトに叙せられる。ライプニッツ、匿名で『光学』を論評1710 ニュートン門下のキールがライプニッツを批判1716 ニュートンとライプニッツの間で往復書簡。ライプニッツ没1717 政府、1ギニー金貨を銀21シリングとする1727 3月20日、ニュートン没1728 『光学講義』刊 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例