日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハイドン(年譜)」の意味・わかりやすい解説 ハイドン(年譜)はいどんねんぷ 1732 3月31日、下オーストリアのローラウで父マティアスと母アンナ・マリアの長男として誕生1738 ハインブルクで基礎教育を受ける1740 ウィーンのサン・シュテファン大聖堂の少年合唱隊員となる1749ころ 変声期を迎え同隊員を辞め、自活を始める。現存する最初のミサ曲作曲1759ころ モルツィン伯爵家の楽長に就任。最初期の一連の交響曲1760 11月26日、マリア・アンナ・ケラーと結婚1761 5月1日、正式にエステルハージ侯爵家副楽長に就任。連作交響曲「朝・昼・晩」1766 3月、同侯爵家楽長に昇進1772 交響曲第45番「告別」、弦楽四重奏曲集作品20、ミサ曲「聖ニコライ」1777 オペラ『月の世界』初演1781 弦楽四重奏曲集「ロシア」1785 モーツァルトと交友。国外からの注文が殺到。「パリ交響曲集」第1集1790 ニコラウス・エステルハージ侯爵没後名誉楽長となり、自由な音楽活動が許される。ウィーンへ移住。弦楽四重奏曲「ひばり」1791 ロンドンのバイオリニスト兼演奏会主催者ザロモンの勧めで、ロンドンに渡り、ザロモン演奏会で新作交響曲を自身の指揮で発表。オックスフォード大学から名誉音楽博士号授与。交響曲第94番「驚愕(きょうがく)」、第96番「奇蹟(きせき)」1792 ウィーンに帰着。帰途、ボンでベートーベンに出会う1794 第2回ロンドン訪問。交響曲第100番「軍隊」、第101番「時計」1795 交響曲第103番「太鼓連打」、第104番「ロンドン」。ウィーンに帰着1796 ふたたびエステルハージ侯爵家の楽長に就任。ミサ曲「戦時(太鼓)」1797 弦楽四重奏曲「皇帝」1798 オラトリオ『天地創造』、ミサ曲「不安な時代(ネルソン)」1801 オラトリオ『四季』1802 ミサ曲「ハルモニー」1803 最後の作品となった弦楽四重奏曲を未完で終わる1804 エステルハージ侯爵家の楽長を辞任1809 5月31日、ウィーンのグンペンドルフの自宅で死去。享年77歳 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例